関ヶ原ダイナミック帰宅最終日!

元気ですかぁ!!!

元気があればなんでもできる!!!

元気があれば関ヶ原から走って帰って来れる!!!

ということで、自宅まで走って帰って終わりかと思ったこの企画も、ついに本当の最終日を迎えました!

早速書き進めます!!!

関ヶ原ダイナミック帰宅最終日!

スタート!

鶴丸城跡御楼門に到着して終わったと思いきや、本当の終わりは妙円寺だと考えていた。

せっかく関ヶ原から走って鹿児島まで帰って来たんなら、そのままリアルに妙円寺詣りをしない手はないでしょう。

グーグル先生に問い合わせたら自宅から妙円寺(徳重神社)往復は大体40kmだったので、距離的には特に問題なかった。

(最早40kmの距離を何とも思わなくなった自分が変態の仲間入りしたんじゃないかと不安ではある。)

スタートは朝5時半の予定だったが、グダグダしてたら6時半の出発となった。

↑スタイルは関ヶ原からのままに、束ねていた髪をほどき、落武者感を演出。

↑後ろには島津の家紋を付けて走る。

↑脚には敵中突破タトゥーと家紋を記帳!

近所の人にバレないかと不安になりながら、コソッと家を出発した。

朝だからかまだ人はそんなにいない。

車は通るけど、やはり羞恥心から車の中は見れない。

1〜2km走ると鹿児島の中でも1.2番の大通りを横切らないといけないので、建物の影に隠れて信号が青になるまでステイ。

青になると颯爽と走り出し、何食わぬ顔で渡った。

そこから少し走ると高齢の女性2人が朝の井戸端会議をしている姿が見えた。

近くに行くと落武者を凝視して言葉を放った。

『うんにゃ〜、妙円寺詣りやろかい?!亡霊やらい!』

亡霊と言われたらそうかもしれないな、と意味不明に納得しながら華麗にスルーした。

それから数km走ったが、妙円寺詣りをしてる人は1人もいなかった。

もしかして、今年もコロナでイベントがなくなったのか?と不安になりながらも、これまでも関ヶ原から1人で走り続けてきたことを思い出し、ひたすら上下する道を走った。

↑朝日と桜島と落武者。

この妙円寺詣りのメインストリートがあるのだが、その道に出た。

そしたら確かに妙円寺を目指してる人が数人いた。

当然ながら行きは人を追い越すだけなので、落武者メイクを見られることなく、声を掛けられることもなく、妙円寺を目指して走り続けた。

↑コスモスと落武者のコラボレーション。

コスモスもまさか落武者と一緒に写真を撮るなんて思ってもなかっただろう。

妙円寺(徳重神社)到着!

特に面白いこともなく、妙円寺に着いた。

義弘公に関ヶ原から無事に帰り着いたことを報告した。

伊集院駅で家族と待ち合わせをしていたので合流した。

義弘公の銅像前に家族がいたので大きな声で「おぉ〜い、我が家族よ〜!」と言うと子どもたちは恥ずかしそうにしていた。

そろそろ子どもたちも父親が落武者をすることが恥ずかしく思える歳になって来たのかとワクワクした。

この写真を撮ってると駅前で待機しているタクシーの運転手さんたちが笑っていた。

まさかこんな落武者野郎が関ヶ原からリアルに妙円寺詣りをしたとは考えもしないだろう。

片道20kmくらいだったので特に疲れてもおらず、ちょっと近所で軽くランニングしてます、くらいの状態だった。

時刻は8時半くらいだっただろうか、そろそろ人や車も増えてきた。

しかし、東海・関西地区で鍛えられたスゴメンタルの落武者にとって、最早羞恥心は皆無だった。

そこから折り返しランを始めた。

メインストリートに出ると妙円寺詣りをしてる鹿児島の民が大勢いるではないか!

そこから落武者のウィニングロードが始まった。

落武者の力!

関ヶ原から妙円寺まで走る、”リアル妙円寺詣り”約250kmを走り終わった。

義弘公にも感謝の気持ちを伝えることもできた。

あとは適当に走って家に帰るか、くらいにしか考えてなかった。

裏道からメインストリートに出ると多くの民が義弘公(妙円寺)を目指して歩いていた。

時折走ってる人もいたが、9割くらいは歩いてる人だったかな。

帰りは面と向かうので落武者を目視された。

するとみんな笑っていた。

やはり落武者の力はすごいなと思った。

特に60歳前後以上の男性から応援をいただくことが多かった。

拍手をされたり、頑張れー!と声を掛けていただいたり、矢がささってるぞ〜!と言われたり、その瞬間をその場のみんなで楽しんだ。

車の中から爆笑してる声を何度も聞いたりもした。

この夏で坂道の練習をたくさんしたからか、登り坂をそれなりのスピードで走り続けることが出来るようになったのと、声援をいただいたことにより坂道を颯爽と走ることができた。

その姿を見た鹿児島の民に笑いと元気を与えることが出来たのではないかと思う。

落武者を見てすごく興奮しながら「落武者だ!見ることが出来た!」と叫んでる人もいた。

本当は裏道を通って帰ろうと思っていたのだが、あまりにも声援がたくさんあり、嬉しくなってメインストリートを走り続けることにした。

とにかく、多くの人たちが落武者を見て楽しんでいた。

関ヶ原から走って来て本当に良かったと思った。

使命感の芽生え!

この落武者を始めたキッカケは2016年の熊本大地震だった。

高校時代を熊本で過ごしたぼくの青春の地でもある熊本の被災者に少しでも笑いを提供したかった。

2017年の熊本城マラソンで落武者で走ってから、ほとんどのマラソン大会は落武者で走るようになった。

落武者を始めた当初、まさかこんな企画をしかも落武者でやるなんて考えもしていなかった。

これは前回の記事でも書いたが、今回リアル妙円寺詣りをして、改めて当時の義弘公を始めとする敵中突破を完遂された方々への畏敬の念が深まった。

どれだけ大変な思いをして帰って来たのかを走ってみて、ほんの少しだけわかった気がした。

その大変な思いをぼくは機会があれば語り継ごうと考えている。

これは同じような思いをした人間の使命だと感じている。

新たなる挑戦!?

今回走ったルートは正規のルートではなかった。

なので、次走る時がいつなのかはわからないが、走る際は正規のルート(関ヶ原から妙円寺まで約320km)で義弘公の道を辿りたいと考えている。

来年の大河ドラマは徳川家康が主人公のようだ。

ということは…関ヶ原の戦いの話があるということか…。

もしかして、来年することになるのか!?!?

しかし、来年はインド側のヒマラヤ山脈で行われる世界最高峰マラソン大会であるラダックマラソンに出る予定なので、無理だとは思うが、もしかしたら走るかもしれない。

その時はこの記事を見ていただいた方々はより楽しめるのではないだろうか。

この企画自体一般人の感覚から外れすぎてて、あまり受け入れられなかったようだ。

なんでもそうだけど、イメージ出来ないことは受け入れられないものだ。

ぼくの宣伝不足もあった。

次やる時は全てにおいてちゃんとやりたい。

手を合わせて本当の終わり!

妙円寺詣りから二日後、島津家代々のお墓がある福昌寺跡に義弘公のお墓もあるので手を合わせに行った。

関ヶ原に行く前にも手を合わせていた。

入口の扉が低く、頭を打ち付けたのはご愛嬌ということで。

この後桜島が綺麗に見える多賀山まで行き、桜島に手を合わせて帰宅の途についた。

これにて関ヶ原ダイナミック帰宅の話を終わる。

本当の終わり!

5日間に分けて書いてきましたが、これにて終わりです!

走り切ったことで「すごいね!」とよく言われますが、ぼくとしては本当に全くすごいと思っていません。

元気があればなんでも出来るんです!!!

元気があれば関ヶ原から走って帰って来れるんです!!!

こんなご時世だからこそ、みなさんも元気を出して何にでも挑戦していきましょう!!!

ご拝読ありがとうございました((o(^∇^)o))

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