元気ですかぁ!!!
元気があればなんでも出来る!
元気があれば関ヶ原から走って帰って来れる!!!!!
ついに関ヶ原から鹿児島市内にある鶴丸城跡地の御楼門まで走って帰って来ました!
関ヶ原島津軍陣跡→彦根→京都→大阪港→志布志→垂水フェリー→鶴丸城跡地御楼門、総走行距離は約230kmでした!
その1日目のことから書き進めます!
長文になるとは思いますが、是非ご覧下さい(^ ^)
以下敬語略します!
関ヶ原ダイナミック帰宅1日目!
この企画を思い付いたのは2年前の2020年、コロナが蔓延し世の中が閉塞感に苛まれていた頃だ。
「よし関ヶ原から敵中突破してみるか。」
かなりライトな気持ちで特に理由もなく、やってみたら面白そうだなと思っただけだった。
もちろん、落武者で走ることは最初から決まっていた。
しかし、妻からの猛反対により2年前と1年前は断念した。
2022年、3年越しのお願いにより走る許可が降りた。
このブログの以前の記事でも書いてるが、それなりに練習もした。
しかし、毎日50〜60km走ることを4日連続で走ったことなんてなかったので、この練習で走り切れるのかわからなかった。
それでは話を進めていく。
9/17(土)の午前中は仕事をして、午後から移動した。
鹿児島→中部国際空港→岐阜県大垣のホテルへ。
鹿児島空港を1630発の飛行機に乗り、大垣のホテルに着いたのは2030頃だった。
日曜日の朝4時に目覚ましの前に目が覚めて起きた。
緊張と不安からちゃんと寝れなかったが、今までもそんなこともあったので特に気にしなかった。
このホテルでふくらはぎにシールタトゥーをした。
このシールは結構評判が良くて、走ってるときもよく声をかけられた。
この字というか書というか、これは書道家の患者さんに書いて頂いた。
それから大垣駅から関ヶ原駅まで電車で移動し、関ヶ原駅のトイレで落武者メイクをした。
↑関ヶ原駅にて羞恥心と緊張と不安が押し寄せる中でパシャリ!
駅から1〜2kmの場所に島津軍陣跡があったので落武者のまま歩いて移動。
陣跡の横に神社があったので無事の帰還を祈り手を合わせた。
↑罰当たり感は否めないけど、こんな感じでスタート!
自分でも本当に走り切れるのか全くわからないまま、自分の胸を叩き魂を奮い立たせ走り始めた。
練習で60kmくらいを走ったので、なんとか二日間は走れると思っていた。
走り始めたものの、全く土地勘がないのでスマホでナビを見ながら走った。
朝が早かったのもあるが、関ヶ原はそれなりの田舎だったので、歩行者はほとんどいなかった。
台風の影響もあったのかもしれない。
走ってたら車が一台止まっていた。
車の中には4人くらいの人が乗っていて、落武者を見ようと待っていたようだ。
クラクションを鳴らされ、みんなが笑いながら落武者に手を振っていた。
「そうか、ぼくは落武者で走ってるのか」そこで初めて強い羞恥心が芽生えた。
笑顔でポーズをとって返礼したが、それからゴールまでほとんど車の中を見ることができなくなった。
15kmくらいのところでコンビニがあったので休憩をした。
そこで子供が興味津々な様子で落武者を見ようと追いかけて来た。
するとその父親らしき人がドラマか漫画でしか聞いたことのないフレーズを小声で言い放った。
『あんまりジロジロ見るんじゃないの!』
つい吹き出してしまったが、そう言われるのも仕方ない、だって落武者なんだもん(^_-)
関ヶ原周辺には関ヶ原の戦い当時を伝えるものがたくさんある。
その中には島津家ゆかりのものもある。
上の写真は“琳光寺”というお寺の中にある親鸞聖人の石碑だ。
要は”思ったが吉日”ということかな。
まさに今回の旅の主題とも言える言葉にいきなり出逢って、これも運命なのかなと思った。
このお寺さんに寄ったのは“長寿院盛淳”という島津義弘公の家老のお墓があったからだ。
長寿院盛淳は、慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では薩摩国蒲生の兵七十を率いて島津義弘公の元に駆け付けた。 西軍は戦いに敗れて壊滅となり、島津義弘公と島津豊久公は一路伊勢に向かって退却を始めた。 長寿院盛淳は拝領の陣羽織を着て敵中に討ち入り、島津義弘公の身代わりとなって討死した。 このとき蒲生の兵十八人もともに討死したという。
今の日本や島津家や薩摩があるのも、このような方々の死があってこそのもの。
手を合わせて感謝の気持ちを伝え、この旅の成功を願いお寺をあとにした。
その後、この旅で必ず寄りたかった”島津豊久”公のお墓にも寄り手を合わせた。
当時の話を書きたい衝動が強くあるが書き始めると止まらなくなるので、この豊久公も半端ない人だったとだけ書いておく。
とにかく、落武者は島津家由来の場所を巡りながら彦根へ向かう峠を目指した。
そしてついにその峠に向かう道に出た。
上の写真を見ると山を見ることが出来る。
この山を越えれば彦根に出る。
この峠は五僧峠という名前で、俗に”島津越え”と言われている。
何やら熊がいるとの情報だけあったので、胸に鈴を付けて走った。
山を走って登る練習はしてきたので特に問題はなかったが、人の気配は全くないし、車も全く通らないし、落石が至る所にあり若干の恐怖感を抱きながら走っていた。
あー、疲れるなぁと思いながら走ってると…
道路に血糊があるやないかい!!!
そしてその血が道路下に引きづられていたので、その下を見たら…猪が喰われとるやないかい!!!
あまりにもショッキングな画像なのでここに写真を載せれないが、とにかく猪の骨が見えてるし、半身が食べられた状態で死んでいた。
まだハエもたかっていなかったので、もしかしたらまだ食べられて間もない状態だったのかもしれない。
とにかく、自らに何かしらの事態が起こってしまうと思い、急いでその場を離れた。
クマも怖いけど、こんなデカイ猪がいるということは、いつ自分が野生動物に襲われてもおかしくない状況なんだと改めて思い知らされた。
そして胸に付けていた鈴を手に持ち替え、力の限り鳴らしながら走った。
スマホから音楽を最大音量で鳴らした。
たまに「ウォ!ウォ!ウォ!」と猿というかオラウータンというかそんな感じの動物の鳴き声を真似してみたりもした。
そんなこんなで峠の頂上らしき所に着くと…
“クマ出没注意!!”の看板が草むらの中に!!!
車やバイク、自転車などでこの場に居たら何とか逃げたり出来ると思うが、1人の人間が生身で逃げる手段は走るのみの状態だったのでひたすら命の危険を感じた。
360°周りを警戒しながら峠を降り始めた。
猪の血糊があった頃からスマホに電波も入らなくなっていたので、自分が今どこにいるのか皆目見当もつかなかった。
その途中で自転車用のライトらしきものが落ちていたので、もし動物に襲われたらこれで戦おうと手に持った。
こんなのでどうにもならないと思うが、あるのとないのとでは心の平穏が全く違った。
ライトも付いたので意味があるのかないのかわからないが点灯させながら走った。
急いで峠を下っていると分かれ道が出てきた。
実は峠に入る前に現地の人に水を頂いたのだが、その方にルートを少し聞いていた。
その人の話では「まっすぐ行くと左右に分かれる道に出るからそこを”右”に行くんだよ!左に行くととんでもなく遠回りになるからね!」と言われていた。
ぼくの手ブログのコアなファンならご存知とは思うが、ぼくはトライアスロンの大会に初めて参加した際、会場に行く時に迷子になった経験がある。
その時も駐車場係の人に「右に行って左」と言われたにも関わらず「左に行って右」に行って迷子になったのだ。
そして、この峠の分かれ道でぼくがとった行動は…「左」に曲がったのだ!!!
だって、左の道の方が綺麗だったんだもん!!!
右の道は道どころか、山の中に入って行くんだもん!!!
人生常に反抗期がモットーのぼくは左に曲がって走り続けた。
しかし、明らかに違う感じがしてきて、あの現地民の言葉が頭にモワモワと浮かんできた。
『右に曲がるんだよ!左に曲がったら相当遠回りだよ!』
そこで我に返った落武者は立ち止まり考えた。
しかし、立ち止まり続けるとクマに襲われる気がして即時の判断が求められた為、ぼくは意を決して引き返した。
画像で確認するとこの写真の真ん中に“五僧峠”と書かれているのを確認出来ると思う。
この峠を右の白い道路から走って、左上の彦根駅周辺を目指して走っていた。
この画像ではわからないのでアップする。
これまた真ん中に“五僧峠”と書かれているのを確認出来るだろう。
それを下に降ると左右に分かれる小道があることを確認出来ると思う。
この道を最初は左に曲がって危うく超遠回りをすることになるところだったのだ。
引き返したのは良かったが、その道があってるのかどうかもわからず、ひたすら川と一緒に降り続けた。
何だかクマが出てくる雰囲気が限りなくあったが、「俺にはこのライトがあるんだ!」とライトを握り締めて心を強く保った。
もし襲われたらこのライトでどうやって戦うか、などをイメージしながら走った。
どう考えてもあんなライトでクマに勝てるわけはないのだが、それでも最悪の事態を想定しなければならなかったのだ。
尚且つ、電波が入らないので自分が走ってる道があってるのかわからないため、「もしかして遭難してるのか?」と思いながら走っていた。
水も減ってきていたので、「もし遭難して水がなくなったらこの川の水を飲んでも大丈夫だろうか?」と考えたりもした。
動画や写真を撮る余裕もないまま、ひたすら急いで走っていたら、ついに人里が見えてきた!!!
それと同時にスマホに電波が入ったのも確認出来た!!!
『スマホ最高!!!電波最高!!!電波少年や!!!』
と訳のわからない言葉が口から躍り出てきた。
こんなに強烈な不安に襲われながら走る10kmは初めてだった。
もう少し降ると、ひっそりとした観光地らしき場所があった。
そこには待望の人がいるではないか!!!
自分が落武者であることを忘れてその人を抱き締めそうになるも、ぼくの顔を見るや怪訝そうな顔をされて我に返った。
落武者が山の向こうから降りてきたら我が目を疑うのが普通だろう。
果てしない安堵感のまま、その観光地らしき場所を通り過ぎ、彦根の地を目指し走った。
田んぼや信号機、ガードレール、車などを見て人類の叡智に心踊った。
しかし、それもつかの間の感情で終わった。
そう、ぼくは落武者なのだ。
路上を落武者が走ってるなんて誰も想像していないので、突然の落武者にみんな驚きと笑いで溢れていた。
それに伴い車の中から写真を撮られまくった。
音が聞こえて来るのよ、カシャって。
恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなった頃にホテルに着いた。
受付ではスタッフの女性は突然の落武者に吹き出していた。
『何かのイベントですか?!』
と聞かれるも、
『いえ、1人でやってるだけです。』
と真顔で答えるとその女性も苦笑いだった。
その後もチェックインの説明やらの際、目が合う度に吹き出していた。
そりゃそうだ、だって…
こんな奴が来たら笑うしかないじゃないか!!!
とにもかくにも、ぼくの1日目の旅は終わった。
確かにその日走ることは終わったが、ホテルに着いたらやるべきことが結構あった。
まずは着てる服、リュック、靴を洗わなければならない。
当然ながら洗い終わったら乾かさなければならない。
着替えを持って行ってないので、その服が乾かないと外に出れないのでご飯も食べれない。
あれだけ走ったというのに、すぐに栄養を補給出来ないという意味不明な放置プレイを経験した。
どうしようもないくらいお腹が空いたので、全く乾いてない服を着てとりあえず近くの松屋に行き牛丼特盛と卵を食べた。
エアコンの効いた松屋でぼくは風邪を引きそうなるくらい体が冷えてきたので、急いで食べて店を出た。
彦根城が微妙な距離にあったが、今回の目的は観光じゃないし、次の日の為に体力・筋力回復を優先させなければならないので、スーパーで食べ物を確保したらホテルへ直帰した。
これで初日の話を終わります!
改めて我ながらわけのわからない旅を始めてしまったものだと思ってます!
この旅の動画はインスタでアップしてますので是非そちらをフォローの上ご覧ください!
続きをお楽しみに!!!
コメント
コメント一覧 (2件)
熊殺しのウイリーウイリアムス
燃える闘魂
私が一番衝撃を受けたのは、スティーブウイリアムスのデンジャラスバックドロップ!
>>アニメ師匠zzさん
クマと遭遇することはありませんでした!
アニメ師匠さんのご助言により鈴を付けることにしたので、本当に助かりました!!
ありがとうございました!
そしていつもプロレスの話題を書いていただいてることで、少なからずプロレスに興味を持つようになったことにとても感謝しております!
ボンバーイェー!!!