元気ですかぁ!!!
元気があれば何でも出来る!!!
元気があれば関ヶ原から走って帰って来れる!!!
ということで、早速4日目を書き進めて参ります!
関ヶ原ダイナミック帰宅4日目!
船が揺れることで夜中も時折目が覚めた。
しかし、普段から眠りの浅いぼくにとって特に問題はなかった。
やはり普段の習性からか4時過ぎには目が覚めた。
ベッドでグダグダしていたが、「そうだ、朝日を見よう。」と思い部屋から出た。
もう少しで朝日が出る頃だったので、ホットコーヒーを買って船内から外が見える場所に座った。
↑モデルのように綺麗な脚をしてるが、ただの落武者の脚。
まだお客さんたちは誰もいなくて貸し切り状態だった。
この写真のペットボトルは移動日に鹿児島空港で買ったものだが、結局家に帰り着くまでずっとこれを愛用した。
そういえば甲板に出れると言っていた記憶があったので、確認したら出れるとのことだった。
↑最高に綺麗な朝日を見ることが出来た。
太平洋から登ってくる朝日に向かって手を合わせた。
朝起きた感じだと、この日も走り切れそうな感じだった。
あまりにも綺麗な朝日に相当な妄想が始まった。
甲板にはまだ人がおらず、ぼく1人だった。
「よし、このままここに居たらアンジェリーナジョリーが来てぼくに声をかけて来るはずだ。」
「いや、アンジーじゃなくても、どうにかして女性と会話をしなければならない」
と思い込み、朝日とは裏腹に邪な気持ちが出て来た。
どうすれば良いか悩んだ結果、インドでして以来のヨガをすることにした。
ヨガをしてたら、
「え、ヨガされるんですね♡私も一緒に良いですか?♡?」
こんな感じで来るだろうと。
全くヨガのやり方も知らないくせに、それっぽいことを始めてみた。
女性が甲板に来た!
当然ながらぼくを視認した。
そして華麗にスルー。
女子大生が来た!
当然ながらぼくを視認した。
そして華麗にスルー。
「もっと攻めないと話しかけて来ないのか?!」
心の中で叫んだ。
ここでヨガプランを変更することにした。
空の写真を撮ってる姿を見せれば、
「綺麗な空ですね♡一緒に撮っても良いですか?♡?」
こう来るだろうと。
しかし、スルーどころか見向きもされなくなった。
「おかしい、日本はどうしてこんなにシャイ国家なんだ!」
心の中で叫んだ。
そんなこんなで船を降りる時間になった。
フェリー乗り場のトイレでメイクをして、トレイから出たらいきなり女子大生の魚群に遭遇してしまった。
「ヤバ 笑笑」
「何あれ、ウケるんだけど 笑笑」
そんな声が聞こえて来る中、逃げるように外に出て撮った写真が↑。
顔に描くマッキーが切れてしまい、中途半端な落武者になってしまった。
途中のコンビニでマッキーを買い、完全体になれた。
志布志のコンビニは先日の台風の影響で停電になっており、ほとんどのコンビニが閉まっていた。
このコンビニは志布志港から10km程度離れた場所だったので水とマッキーは買えた。
これまで関ヶ原から何度も落武者でコンビニに寄ってきたが、このコンビニで初めての出来事が起こった。
「何されてるんですか?」
店員さんに聞かれた。
唐突の質問に、
「あ、いえ、特に意味はないんです。」
と答えてしまった。
「意味がないとかただの変質者だろ!」と店員さんは心の中で思ったでしょう。
ぼくもそう思ったからね。
とりあえず、鹿屋(志布志から30kmほど離れた街の名前)を目指して走っていたのだが、車から降りて一緒に写真を撮って欲しいという方が3人もいた。
鹿児島は落武者(変質者)に優しい街なのかと不安になったが、そこは思い直し、温かい方々がお住まいなんだなと思った。
さすが我が故郷、鹿児島の民は温かい。
心からそれを実感した。
その3人以外にも、どこかの駐車場から2人の女性が「頑張れ〜!」と一生懸命声を掛けてくれたりもした。
車からも声を掛けてくれたり、ガソリンスタンドでぼくが走って来るのを待っている人たちもいた。
関ヶ原から大阪港まで走っていた時に、こんな声援はなかった。
鹿児島の民は実に温かいのだ。
鹿屋を過ぎて少し走っていたら、突然錦江湾が網膜に飛び込んできた。
その時ぼくに、関ヶ原の戦いの際の島津軍の気持ちがほんの少しだけ重なったような気がした。
島津軍 | 落武者 | |
移動距離 | 400〜500km | 230km |
命を狙われる | 本戦、落武者狩り、海賊、九州に着いてからの戦闘 | クマ的な |
水 | 川の水をどうにかして飲んだりしていたと思われる | 神社、寺、公園、トイレ、コンビニ |
食料 | 狩猟、村人に分けてもらう、山に生えてる植物 | コンビニ、スーパー等 |
宿泊 | 野宿、村に泊めてもらう | ホテル、船 |
ミッション | 義弘公の絶対の帰郷、大阪城にいる嫁と妻を助ける | 落武者コスプレ |
このように当時の方々はぼくなんかよりも数十倍もキツイ思いをしてこの錦江湾を見たと思う。
挙げたらキリがないくらい危険と隣り合わせの島津軍のことを考えると、自分はなんてちっぽけなんだろうと思った。
確かにこの錦江湾を見るまで約210kmくらい走ってきたけど、そんなことどうでもいいと思った。
ただただ、島津軍に対する畏敬の念が強くなっただけだった。
ここで錦江湾を見たときに涙が出てきた。
その時はなんで自分が泣いてるのかわからなかったが、今考えるとこの「畏敬の念」から来たものだと思う。
そこまで思わせる島津軍はやはり凄いのだ。
そんな気持ちになるのも自分がここまで走って来たから思えたことでもあるだろう。
この後鹿屋体育大学近くのコンビニで休憩をしてる時に、垂水フェリーの時間を調べたら16:00発と書いてあった。
その時の時刻が14:40頃だったので、急げばなんとか間に合う時間だった。
これまで210kmほど走ってきたが、大体1kmあたり6分くらいで走っていた。
このコンビニから垂水フェリーまで13kmくらいなので、5:30/kmで走れば16時発に間に合う。
落武者は急いで出発の準備をして走り始めた。
先ほどの錦江湾を見たことによる感動で気分は高まっていた。
最初の3kmを大体5:30/kmで走れたが、「5:00/km以内で走ってやる!」と 尚更テンションが上がってきた。
沿道で応援してくれてる人たちがいたけど、まっすぐ前を向いてすべてスルーした。
完全に自己陶酔に浸っていた。
足腰に大きな支障はなかったので、追い込めるところまで追い込んでみようと思った。
息は切れるけどひたすら我慢して走った。
長く感じた13kmの距離も1km1kmをしっかり刻んで走ってると、目標のフェリー乗り場の看板が見えてきた。
交差点を曲がりフェリーターミナルを視認すると、なんとフェリーが出港しているではないか!
そこでぼくの中のキムタクが突然出てきた。
『ちょ待てよ!』
なんで出港してるのか全く意味がわからなかった。
ターミナルの中に入って確認すると、反対側の乗り場の出港時間が16:00で、こちら側の出港は16:20と書いてあった。
徹頭徹尾の自分のツメの甘さに苛立ったが、こんなことも自分らしくて可愛いなと思い直し、待合で出港まで待つことにした。
それから鹿児島タイムで16:25頃に出港した。
船が着いた場所からゴールの鶴丸城跡の御楼門まで約6kmだった。
その区間は普段走ってる場所だったが、220kmを走ってきた上でそこを走るとどのような気持ちになるのかちょっと楽しみだった。
しかし、錦江湾を見た時に全ての感動の心を使い切ってしまい、これといった感慨にふけることもなく普通に走っただけだった。
↑桜島と錦江湾と落武者。
いつものコースだっただけに、知り合いにあったらどうしようかとヒヤヒヤしながら走った。
そして隠れるようにゴール地点を目指した。
ついにゴールの鶴丸城跡の御楼門が見えてきた!
家族がゴールテープを用意してくれており、そこを走り抜けてゴール((o(^∇^)o))
感動のゴールかと思いきや、この御楼門の前は大通りかつ帰宅中の車でごった返していて、すぐにその場を去りたかったので、上の写真を撮ってすぐさま門の裏に隠れた。
その後も隠れるように自宅に帰った。
今回関ヶ原を走って帰って来たが、整骨院でよく聞かれることがある。
『達成感がすごいんじゃない?』
これなんだけど、驚くほど達成感が全くないのが実情だ。
全くね。
『まぁ走ったな。』
くらいにしか思っていない。
なぜなら、やはり当時の島津軍の方々を思うと自分なんてちっぽけだと思っているからだ。
しかし、一つだけやり切ったなと思うことはある。
『落武者で走り切ったこと』
230kmの距離を数回に分けて走るというのは、それなりの練習をしてればそこまで難しいことではないということがわかった。
世の中には変態(ラン狂いの意味で)がたくさんいて、一回の大会で270kmとかそれ以上の距離を走る変態たちがいる。
それと比べても自分が走った距離なんて4日に分けて走ってるわけだし、普通に生活してる人たちからしたら凄いとは思うが、やはりそんなに大した事ではないと思ってる。
しかし、落武者(というかコスプレ)で、しかも1人で関ヶ原から薩摩の地まで敵中突破した人はこれまでの400年の間にいなかったはずだ。
ぼくはそのパイオニアにはなれたのではと思っている。
今後誰かが同じように敵中突破をする人が出てくるかもしれない。
実は今回走ったコースは義弘公が突破したコースではない。
この事実を知ったのは走る1ヶ月前で、そこから調整するのは不可能だったので、当初の予定通りのルートを走った。
本当のコースを走る日が来るかどうかはわからないが、いつの日かまた挑戦したいと思っている。
これで4日目を終わります!
「え!?これで終わりじゃないの!?」
と思った勘の鋭いそこのあなた!
まだ終わりじゃないんです!
敵中突破の本当の終わりは妙円寺にあり!!!
妙円寺詣りというものが鹿児島にはあります。
敵中突破をされたり、島津家や薩摩を護った義弘公を偲ぶお祭り的なものが「妙円寺詣り」です。
この妙円寺詣りで徳重神社という場所に鹿児島の民が一同に集まり義弘公に手を合わせて帰ります。
関ヶ原からリアル妙円寺詣りをしてきた落武者がこれに参加せずにいられるわけがない!!!
ということで、10月23日(日)の朝6時前後に家を出発して徳重神社に7時半〜8時頃に着く予定です!
そこから踵を返して自宅まで走って帰るので落武者で往復します!
ルートは自宅から小野街道を通って、北部清掃工場に出て、チェスト館の通りをずっとまっすぐ伊集院に走ります。
伊集院周辺は多分恥ずかしくて隠れながら裏道を走ったりすると思います。
走行距離は40km前後と思われますので、特に問題なく走れるでしょう!
この記事を見て「生落武者を見たい!」と思ったそこの変態なあなたは是非朝一で妙円寺詣りをしましょう!
義弘公と落武者が待ってるぜ((o(^∇^)o))
コメント
コメント一覧 (2件)
ぼくの手のテーマ曲は、Mジャクソン!YouTubeで爆笑
落ち武者のテーマ曲は? 亡くなられた大レスラーの入場テーマが似合いそう
さて真面目に今回の残った課題は、クマさんとの遭遇
クマさんと戦うことで、本物の落ち武者狩りをリアルに味あうことができる!
クマさんにチャレンジ!!
>>アニメ師匠ZZさん
ぼくも闘魂のテーマをテーマ曲にしようと考えてました!
クマさんと遭遇したら絶対に勝てませんし、争う気はありませんよ!
リアル落武者狩りと闘うことに情熱を求めてません!