インドの新型コロナウイルス事情5〜本当の貧困とは〜

昨日オムカールさんからInstagramの紹介があった。
それは我々日本人からすると考えられない写真が載っていた。
 


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A person from Dharavi slum, Mumbai collecting spilled rice from a van carrying food grain outside containment area. I paused & was silent upon seeing this. After an air of silence as I started to take pictures. he stopped me, so that he could wear his mask. He then started resuming to collect the rice grains & while collecting he told please take photos & enquired if these photos will be shown in newspapers. I said they might, I am not sure but he insisted that his photos be taken & published in newspaper. In this brief interaction with him my silence gave way to this moment, where it’s not just about documenting but how innately our spirits are connected with each other. I knew this moment spoke about the larger perspective of the crisis that humans are facing across & how important that this story be told through this moment as it’s not just about him but of many a people who live in economically lower strata of life; the daily wage earners who are majorly affected by lockdown due to Coronavirus in India. I don’t wish to name the person given the sensitivity of this moment. At times being a photojournalist we often feel how far can we go into documenting, where is silence enough…or through our lens can we touch lives of people who are often unheard & let images speak & connect hearts. I know why this person felt it’s important that his picture be shared, maybe today I just wish to leave all with a silence that I felt upon seeing him. #covi̇d_19 #coronavid19 #coronavirus #pandemic #epimedic #people #mumbai #india #dharavi #slum #food #crisis #nikon #onassignment #photojournalism #documentary @panospictures

Atul Loke(@lokeatul)がシェアした投稿 –


あえて英文のままを載せた。
今からぼくの和訳を書くが英検10級レベルなのでちゃんとした和訳を知りたい方は自分で調べるか英語に詳しい人に聞いてね。

ムンバイのダラビスラム出身の人物が収容エリアの外で食用穀物を運ぶバンからこぼれ落ちた米をかき集めていた。私はこの人物を見て立ち止まり沈黙した。静寂の後、私は写真を撮り始めた。彼は私が写真を撮ることを止め、マスクをつけた。そして再び落ちている米を集め始め、自分の写真を撮るように言い、撮った写真が新聞に載るのか聞いてきた。私は「もしかしたらね」と言った。なぜ彼がそう言ったのかわからないが、彼は写真が新聞に載ることを主張していた。彼とのこの短い対話で、私たちの精神がお互い本質的にどのようにつながっているのか文書化する必要はないということを私の沈黙が語っていた。(注:この文章を書いている人はジャーナリストらしい)人類が直面しているこの危機の大局観と、彼だけでなく多くの貧困層の人々(インドのコロナウイルスによるロックダウンの影響を一番受けている日雇い労働者)について、この沈黙を通して語られることを話し合うべきということを知った。この沈黙のセンシティブを考えると彼に名前は付けたくない。時々我々フォトジャーナリストはどこまで文書化するべきなのかしばしば考えることがある。レンズを通して前代未聞の人々の生活に写真に語らせ心に響かせることも出来る。彼の写真をシェアした重要性を私は知っている。今日彼に会ったときに感じた「沈黙の瞬間」だけで十分だということを。

 
これを和訳するのに2時間近くかかった…。
どれだけ英語が苦手なんだ…。
 
それはさておきこの写真と文章は非常にセンシティブだ。
日本人には中々理解出来ない写真と文章ではないだろうか。
日本はかなり恵まれている。
今回のコロナウイルスによる影響は確かに甚大なものであるし、職を失う人も多数出てくるだろう。
実際すでに失った人も出ている。
これまで以上に失業者で溢れ返ることは間違いない。
しかし、配給車から地面に落ちた米を拾ってまで生活することは日本ではありえないことだ。
日本だけではなく、先進国では考えられないことだろう。
この写真を見ると自分や周りの人間がどれだけ恵まれているか痛感させられる。
そしてこのコロナショックを乗り切ったらこのような貧困について深く考える必要がありそうだ。
 
 
新型コロナウイルスにより今日本人は病んでいる。
感染者が出たらその人を全員で叩き潰し精神的に殺しにかかっている。
他人のことを気にしているようで実は自分のことばかり考えている。
これは表裏一体で難しいことであると理解している。
しかし、もう少し他人のことを考える必要があるんじゃないか?
意図せず自分が感染者になった時のことを考える必要があるんじゃないのか?
軽率な行動や他人のことを考えず感染してしまっている人もいるだろう。
自分は自粛して我慢して気を付けて日々生活しているのに、安易な考えの人が感染していることに腹を立てているのだろう。
気持ちはわかる。
だけど、みんなそこまでする必要があるか?
もちろん100%の人が言ってるわけじゃないこともわかってる。
けど明らかに今はおかしい人の方が多いと感じる。
みんな冷静になろうよ。
自分だけでなく自分の家族や友人や大事な人が感染者になった時のことも考えてみてよ。
もっと気持ちに余裕を持とうよ。
 
今回はオムカールさんから紹介して頂いたInstagramの写真を観てそのことをより強く感じた。
もっと弱い人に優しくなろう。
弱い人に優しくなれてこそ自分も優しくされる。
そしてその優しさが強さに変わっていくんじゃないかな。
こんなウイルスなんかに負けちゃダメだよ。
心が貧しくなっていないか?
 
ぼくはこのウイルスで人間としての価値を見極められてる気がしている。
強くあるために、強くなるためにもみんなで人として成長していこうじゃないか。
そのためにも弱い人への優しさを持つことが大事ではないだろうか。
今一度今回紹介した写真を見て深く考えて欲しい。
本当の貧困とは何なのか。
物理的貧困なのか、精神的貧困なのか…。
貧しさは金銭だけでなく精神にもある。
このジャーナリストとスラムの人の気持ちが通じ合ったように、みんなもまず「沈黙」をしてみようじゃないの。
世界が平和になるよう心から祈っている。

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