死生観

今回は真面目な内容です。
スルーして頂いて結構です。
先日格闘家の山本KID徳郁さんが亡くなりました。
心からご冥福をお祈りいたします
年齢も比較的近いためか、深く考えさせられたので自分の感情をまとめる日記的な感じで書こうと思います。
 
 
敬老の日の夕方、つまらないことで考えさせられた。
内容は本当にどうでも良いことなのだが、頭から離れなかった。
次の日の朝、ジョギングをしたがずっとそのことが頭から離れなかった。
基本的にジョギングをしている時はプラスのことを考えることが多いのだが、その日は前日のつまらないことが頭から離れなかった。
走り終わってからもイライラしていた。
働き始めてからも何だか頭から離れなかった。
昼過ぎ、Yahoo!ニュースを観たら衝撃のニュースが書いてあった。
『格闘家山本KID徳郁さん死去』
あまりの衝撃に大声を上げてしまった。
つい先日山本さんがガンで闘病中との事実を本人が公表されていた。
それからあまりにも早過ぎる死だった。
年齢は41歳、ぼくの兄と同じだ。
ぼくが中学、高校、専門学校の頃ずっと活躍していた格闘家だった。
ぼくは山本さんの特別なファンでもない。
目の前にAKBの誰かが居ても何も思わないし握手したいとも思わないけど、山本さんだったら間違いなく握手を求める。
特別なファンではないが、好きな選手だった。
タトゥーをガンガン入れてることで色々言われていたが、ぼくは別に気にならなかった。
山本さんもそれについて述べていた。
『(タトゥーを見て)嫌な人はいると思う。それが現実だから。でもそんなこと考えてやってないし。入墨は自由の象徴だと思う』
ぼくも確かに自由の象徴の一つだと思う。
しかし、ぼくはタトゥーは入れない。
理由は身体に悪いからだ。
汗腺を壊して描くタトゥーは肝臓や腎臓に多大なる負担をもたらしてしまう。
ただそれだけの理由だ。
ワンポイントくらいだったら入れても良いかなと思ったりもするけど、痛そうだしやめとこうかな。
 
山本さんが亡くなったニュースを観て驚きと共に信じられない気持ちでいっぱいになった。
年齢が近いことと、元気な姿を観ていたからこそ有名人の死の中で一番の衝撃を受けた。
「人の死」というものは深く考えさせられる。
自分が41歳で死んだら家族がどうなるんだろうとリアルに考えた。
子どもたちはその時中学生。
まだまだ子どもたちの成長を見続けたいし、もっと世の中を見たいと思ってる頃だろう。
山本さんがどのような気持ちだったかはわからない。
けど、きっと同じ気持ちを持ったと思う。
子どもの名前を身体に刻む(タトゥー)くらい愛していたんだから当たり前だと思う。
妹さんの聖子さんと結婚したダルビッシュ投手のことも「愛してる」と直接伝えるくらい慈愛に満ちた方だ。
そんな人が自分の子どもの成長を見続けたいと思うのは当たり前じゃないだろうか。
それが叶わなかったのは本当に無念だったでしょう。
お子さんたちは父親のことを胸に刻んで強く生き抜いて欲しい。
 
 
山本さんの死を目の当たりして驚き、その後我に返った。
自分の死を考えて、今のままで良いのだろうかと。
このことは人の死に触れた時いつも考えることだ。
今ぼくは死にたくない。
家族と共にまだまだ生きたい。
最近自分の天命というものをボンヤリと自覚するようになってきた。
ここでは書かない。
この天命を果たすためにもぼくはまだまだ死ねない。
 
ぼくが今どうしても治したい方が二人いる。
もちろん書くまでもないだろうが、全員治したいと考えて日々働いている。
その中で特別な二人がいるという話だ。
一人は股関節がとても悪い方。
この方の股関節が治せたら、股関節痛で悩まれてるほとんどの方を治すことが出来るだろう。
この方とは今二人三脚で治療にあたっている。
二人の会話の中で出たセリフがある。
『最早これは執念だ。』
それくらい二人で必死だ。
ぼくは「治療」というものは「治療する側」が一方的にするものでなく「治療される側」と一緒になってするものと考えている。
お互いがお互いを認め合い、そして信じあい共に歩むものではないだろうか。
ぼくの手に通い始めて約1年が経つが、やっとで長いトンネルの先に光が見えてきた。
あれでもない、これでもないと必死になって勉強してぼくも治療にあたった。
その間ぼくを信じて通い続け、ありのままの状態を話して頂いた。
まだ遠くに光りが見えたくらいで近くにはないかもしれない。
けど、確かに今光りが見えている。
その光りの先に行くまでぼくは死ねない。
 
 
もう一人は昨年末にご主人様を亡くされた方だ。
お一人になられた時は本当に落ち込み、毎日本当に辛そうだった。
顔にも身体にもその落ち込み具合は見て取れるものだった。
このご夫婦共に整骨院にみえていた。
ご主人様の体調が悪いことを正確に知ったのは夏過ぎだったと思う。
随分前から体調は悪かったみたいだが、そこはぼくが入り込む領域じゃないと思い話はしていなかった。
しかし、身体を触れば何となくわかるものではある。
夏過ぎから顔色も本当に悪くなっていた。
入院中にも整骨院にみえたりもした。
ぼくはその時大きなミスをした。
 
『いつでも病院に呼んでください。いつでも行きますので。』
 
何でもそうだが、受け身になってはいけない。
自ら動かないと物事良いことほとんどない。
年末も近付き、ふとその方のことが頭によぎり、奥さまに連絡した。
ぼくが連絡をした前日に亡くなられたとのことだった。
衝撃が走った。
頭が真っ白になった。
そして、後悔した。
人生二度目の後悔だった。
なぜ自ら病院に行ってマッサージをしなかったのか。
本当に後悔した。
 
この後悔が次のぼくを動かした。
以前名古屋で働いていた時お世話になった方に会いに行った。
この方のご主人様が亡くなられた時、ぼくは鹿児島にいた。
悲報を聞いた時ぼくは行くか行かないか迷ってしまい結局行かなかった。
今だったら迷う必要もなく行くだろう。
その時は整骨院が今よりギリギリの経営状態で金銭的に余裕がなかったということもある。
しかし、お世話になった方の死に目に金銭を考えてはいけなかった。
年始は名古屋に帰っているのだが、それから毎年会いに行こうと思えばいけたのに何らかの理由をつけて会いにいっていなかった。
鹿児島で人生第二の後悔をしたことでぼくは連絡もせず突然その方を訪れた。
偶然にも家にいらっしゃり、会うことが出来た。
ご仏壇にも挨拶することが出来た。
久しぶりの再開に二人して涙流した。
お葬式に行けず申し訳ないと謝り、その後世間話をした。
また今度の年始は会いに行こうと思っている。
 
話を元に戻す。
元気がなくなったその女性だったが、最近やっとで元気を取り戻してきている。
勿論全てを知っているわけではないので心の深い部分はわかるはずもない。
けど、元気になってきてる。
ご主人様のスマホをまだ解約せず手元に残しているらしい。
多分だけど、一人でラインのやり取りをしているのかもしれない。
メッセージを送り「既読」の文字が付くとまだどこかに生きていると思えるのではないだろうか。
それがもしかしたら心の支えになっているのかもしれない。
ご主人様が送りそうな言葉を自分のスマホに送り、やり取りをして気を紛らわしているのかもしれない。
全ては想像でしかないし、そんなこと聞けやしない。
とにかくご主人様を愛していることだけは全ての言動から伝わってくる。
 
病院に行けなかったそのこともあり、ぼくはその方の元気を取り戻そうとあれこれ考えたし実行している。
決してその時の後悔が取り消されることはない。
だからこそ、ぼくは動かないといけない。
おこがましい話だが、身体を治すだけがぼくの役割ではないと思ってる。
心を治すことも大事だ。
それもやはりぼくからの一方通行でなく、二人三脚で治すことが大事ではないだろうか。
マッチ棒ほどの支えかもしれないけど自分に出来ることはしようと思う。
この人の心を根本的に治すことは出来ないが、それでもぼくはこの人の心を治すまで死ねない。
 
 
山本さんの死から一日明けた昨日の朝、ジョギングをした。
前日走っても頭から離れなかったつまらないことなんて微塵も考えていなかった。
山本さんのことで頭がいっぱいになっていた。
桜島に向かって山本さんのことを祈り、心の中に刻んだ。
 
『精一杯生き抜き、精一杯死に抜く』
 
大きいことは言わない。
今目の前にある出来事を精一杯悔いのないよう楽しく生きていこう。
いつ死んでも良いように。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

記事に共感頂けたらシェアお願い致します!

コメント

コメント一覧 (6件)

  • 記事の内容に共感しました。自分も若い頃、友人が遠方で亡くなった際、駆けつけてのお別れが出来なかった事が今でも心残りです。
    個人的には「人は死んだら終わり」ではなく、子どもがいる場合は遺伝子的にも引き継がれますし、山本さんのように、人々に何かを考えさせる場合もあります。
    その人を想い出す人がいる限り、終わりとは言えないのかな?と思います。
    歳を重ねて感じるのは命の儚さ、脆さ、そして貴重さです。
    今この瞬間の生を謳歌するためにマラソンに挑戦するぞ!

    • >>Kouika7さん
      人は死んだら終わりではなく、死んだ時にその人の人生が初めて評価されると思うようになりました。
      だからぼくは死んだ時の自分の為に精一杯生きたいと思います。
      こんな重い話整骨院では中々出来ませんが興味深く思います。
      マラソンで寿命を縮めない為にも栄養も大事ですからね!

  • ガンとの闘病生活の辛さは、私の心の師匠が闘病生活を
    本に書きました。
    ”今日より強い自分になる”
    ”がんと生きる”
    上記の二冊です。興味のある方は読んでみてください。
    誤解されている方が多いと思いますが、格闘家がタトゥーを入れるのは”ギミック” 悪意があるものではありません。
    試合前の舌戦もプロとして格闘技を盛り上げるためのギミックであり、格闘家はリングを降りたら紳士です。
    プロとして弱さを見せないために、ガンを公表しなかったと思います。
    心の師匠も、スティーブウイリアムス選手のデンジャラスバックドロップを喰らった時、相当のダメージを首に負ってしまい、病院へ行こうと思ったそうですが、
    アニメ師匠の心の師匠の師匠(ややこしい)から、”レスラーは超人であれ” レスラーは簡単に怪我をしない超人なんだと教えこまれており、病院に行かずそのまま自己治癒力で回復したそうです。
    格闘家は、人にや弱みをみせない。山本KID選手はまさにそのものでした。
    (参考までに師匠の動画を)
    ”小橋” ”豊橋” ”ウイリアムス”でググってみてください。ニコニコ生動画で見れます

    • >>アニメ師匠さん
      プロレス好きのアニメ師匠さんが言うと何だか真実味が増します。
      アニメ師匠さんの言葉で気付きました。
      山本さんは弱みをみせないようにしていたんですね。
      レスラーは不可能を可能にする超人なので高山さんには復活して欲しいです。

      • アニメ師匠の心の師匠の師匠(ややこしい)
        ジャイアント馬場さん、ガンを最後まで公表しませんでした。
        奥様と和田京平R、あと数名の関係者しか知らされておらず
        皆知らなかったそうです。
        高山選手は必至のリハビリの最中です。
        ウイリアムス選手は癌で亡くなりました

        • >>アニメ師匠さん
          ジャイアント馬場さんもそうだったんですね。
          全く知りませんでした。
          高山選手は必ずリングに戻って来ると信じてます。
          ウイリアムス選手という方を初めて知りました。

コメントする

CAPTCHA


目次