12月13日に宮崎の青島でマラソン大会がありました。
青島太平洋マラソン(以後青太)で3時間をきることを目標とし、10月半ばのツルマラソンから気合を入れて11月もガンガン練習してきました。
毎週日曜日、長距離にも対応できるように35km以上を走り、平日に20kmを追い込んだりしました。
さてさて今回はどんなドラマがあったのでしょうか。
長くなると思いますが、どうぞ一緒に走ってるような気持ちで楽しんでご覧ください( ^ω^ )
以後最後まで敬語を省略します。
まずは今大会のレビューから書く。
患者さんから聞いていた情報ではフラットでタイムを狙いやすいと聞いていたが、確かにほとんどフラットで橋を渡るとき以外アップダウンはなかった。
12月に行われる大会だから気温は比較的低いはずだったが、今回はスーパーエルニーニョの影響で11時頃から気温が上がってきたためランに影響が出る人が多かったと思われる。
1kmくらいまで道幅が狭いため多少の混雑はしたが、前の方に居たのであまり気にならなかった。
後ろのランナーたちにとっては渋滞が気になっただろう。
コース全体的に応援者が多く、特に市街地に入るとあたかも自分がスターになったのではないかと勘違いしてしまう。
また、ボランティアの高校生が素晴らしかった。
気合の入った応援をしてくれる生徒がかなり多かった。
惰性で応援しているのではなく、心から応援してくれてる気持ちがすごく伝わってきた。
キツイときにあの応援はかなり助かった。
こんなところでお礼を言うしかないが、宮崎の高校生と出会うことがあったら優しくしようと思う。
心からの応援ありがとう!
君たちのお陰で最高のマラソン大会になったよ!
給水エイドもしっかり設置されていたため、水分補給で困ることはほとんどない。
今回補食をほとんど見ていないため、しっかり確認できなかったが、バナナやミカンなどが置かれていたはず。
空腹で困ることもほとんどないのではないだろうか。
景色は終盤の青島にあるトロピカルロードで海岸沿いを走るので気持ち良いくらいかな。
この道を狭いと言うレビューを見たが、この地点はそこまで渋滞する場所でもないので気にすることはないだろう。
サーフィンをしている人も多くいた。
ゴール後に大きめのタオルを配っているため、完走した達成感があった。
また、ゴール後にアクエリアスとコーラが配られていて凄くありがたかった。
特にコーラが良かった。
このコーラに関しては記事で詳しく書く。
しっかりドラマが生まれたからね。
完走後、完走証をもらうと同時に景品のようなものをもらった。
中身は水とマンゴーパンだった。
青大記念マンゴーパンらしく、それっぽいシールが貼られていた。
美味しそうだったが、裏を見て少しがっかりしたのが鹿児島の有名パン工場のパンだった。
『鹿児島かよ!』
ついついツッコミを入れてしまった。
大会全体的にかなり良い大会だったが、今後のため少し気になった点を書く。
・ペーサーが3時間・4時間・5時間といたが出来れば30分毎にいるとランナーからしたらかなりありがたい。
・朝車で会場入りする時の道路での話だが、高速道路を降りて、左側に車は並んでいたが、初めて行った人はまずわからないので左側に並ぶよう看板が欲しい(もしかしたら出てたのかもしれないがぼくは気づかなかった)。
これくらいかな。
そんなたいしたことでもないので、ほんの少し気になった程度だから問題はない。
さて、ではぼくの話を始めよう。
今回覚えてる景色は3つだけだ。
・宮崎神宮(15km過ぎ)
・青島海岸(35km付近)
・子どもの国(35km付近)
それ以外はほとんど見ていない。
見ていたのは前を走っているペーサーだけだった。
前日は20〜21時の間に寝ようとするも中々寝れなかった。
ここでぼくはある実験を試みた。
これに関してはまた後日書く。
かなり興味深い話になるだろう。
結局寝れたのは23時頃だった。
起床は3時前、あんまり寝れてないけど熟睡できたし大会前はいつもこうなるので気にならなかった。
出発は3時半前後。
妻と子どもたちにとってはとても辛いだろうが、頑張ってもらい、車で会場を目指す。
青大会場近くのインターチェンジを降りたのが5時40分くらい。
会場の駐車場に余裕で停めることに成功。
しかも、ほぼ目の前だった。
6時におにぎりを2個食べながらアミノバイタルゴールドで電解質を補う。
トイレに行ったり着替えたりしてたら8時くらいになり、スタート地点で写真を撮る。
このあとスタート地点へ移動し待機する。
柵のむこうには娘たちが応援しているが、ほぼ無視。
そんな応援もあまり耳に入ってこないくらい、緊張と集中していた。
出もしないがトイレに行きたくなり、とりあえず行ってくる。
そして、ついにスタート!
見つけれるかな???左側にいる水色のシャツとオレンジの靴。
今回はサブ3のペーサーがいたので、とにかくその人についていくことだけを考えた。
頭に風船を2個つけており、まず見失うことはない。
スタートの1kmは渋滞するため少し遅くなるが、問題にならない程度の時間ロス。
大通りに出てからついにぼくの戦いが始まった。
いきなりだが、胃が横隔膜にあたって痛くなってきた。
『おいおい、早くねぇか???』
と自分の体に問いかける。
ここはとにかく我慢だと思い、10kmくらい走ったらようやく治まった。
覚えてる景色の一つ、宮崎神宮の鳥居を目視。
スタートの前にペーサーの人が、
『1kmあたり4:10〜4:15で走ります〜。』
と言っていたが、20kmまで大体4:06/kmで走っていた。
これにはぼくは焦った。
元々後半にスピードを上げていく練習を重ねてきたのに、これでは後半もたなくなるかもと思いながらも、離れるのが怖くてずっとついていった。
そのペーサーは5km毎にタイムを言ってくれ、今タイムの貯金がどれくらいあるかを計算してくれていた。
ありがたかったけど、ペースが速すぎてちょっとイライラした。
20kmでペースを落とすことを宣言してくれた。
そこでかなり安心した。
しかし、脚にそこそこのダメージがきていた。
多分ペーサーのプランがあったのだろう。
出来ればそれをスタート前に言ってくれたら良かったのだが・・・。
何度ペーサーにペースが速すぎると言おうかと思ったか。
その度にマイナスの言葉はなるべく忘れ、信じてひたすら後ろをついていった。
25kmくらいからきつくなりだすも、32km地点で妻や子どもたちがいることを思うと風船マンから離れるわけにはいかなかった。
また、ペーサーが時たま冗談を言ったりしてサブ3集団の力を抜いてくれた。
少しずつそこで連帯感が生まれてきた。
みんな同じ気持ちだったと思う。
『今日、ここで、何としてでもサブ3を達成するんだ。』
一言も会話してないが、きっとみんな心で何度も思っていたに違いない。
32kmらへんで、妻と子どもたちを目視。
その時の写真は妻が撮り忘れて動画しかないので、最後に動画で紹介する。
風船マンと一緒に走ってるぼくを見て泣いてしまい、写真を撮れなかったらしい。
妻はすぐに泣く。
いけないことに、妻と子どもたちに風船マンと一緒に走ってる姿を見せたことで一つの達成感をもってしまった。
フルマラソンは32kmからが大事なのに、そこで気が抜けてしまい34kmくらいから少しずつペーサーから離れていった。
しかし、まだ脚がつる気配はなかった。
まだ食らいつこうともがいた。
ここで覚えてる景色の二つ目である地点である35km地点「青島海岸」に到達。
35km(トロピカルロード)くらいから時計を見るのをやめた。
決して諦めたわけではなく今自分が走れる精一杯を出そうと思った。
まだなんとか食らいつこうともがいた。
もがきながらふと右側を見るとこどもが遊ぶととても楽しそうな施設が見えた。
走り終わって確認したらどうやらそこが覚えてる景色の3つ目である「こどもの国」だったようだ。
このトロピカルロードは途中で折り返すため、反対側にランナーがいる。
そこでぼくは何度も思った。
ササッと木に隠れてしれっと反対側を走り出してもバレないんじゃないか?と。
しかし、そんなズルをしても意味がないことはわかってたからしなかったけどね。
35kmくらいから水分補給をやめた。
30km手前で水分補給をしたらまた横隔膜が痛くなったからだ。
今回水分補給は全部で4回くらいしかしてない。
喉も若干渇いていたが、横隔膜が痛くなるよりマシだった。
スポーツ羊羹も一応1個持って走ったが、食べなかった。
僕の場合サブ3ペースになると、何も食べなくても問題ないことがわかった。
38kmでトロピカルロードの折り返し地点がきた。
折り返し地点より少し手前で反対側にペーサーの風船を目視。
まだこれだったら追いつく。
しかし、そこでスピードを上げることが出来ずペースがガクンと落ちた。
39kmくらいで何とかスピードを上げようと踏ん張るも、脚がつって力尽きた。(ツルマラソンじゃないのに!)
40km地点でタイムを確認すると、あと2kmを4分ジャストのペースで走ればギリギリサブ3達成の望みがあった。
だが、上げれなかった。
40km前後で止まってる選手が結構いた。
みんな脚をつって動けなかったり、ストレッチをしていた。
その気持ちが痛いほどわかるし、自分も止まりたかった。
41km付近で12時になり、何とも情緒ある音楽が流れてきた。
その光景が何ともシュールで笑いがこみ上げてきた。
『この音楽はなんだったかなぁ』
と考えるも、全く思考回路が働かず、応援してくれてる高校生に聞いた。
『今流れてるこの音楽ってなんだっけ?』
『え〜〜〜〜、故郷(ふるさと)!!』
『それだ、ありがとう。』
必死に41kmも走ってきて、念願のサブ3を到達できなかった時の音楽がローカル放送スピーカーから流れてくるなんとも形容しがたい音で「故郷」が流れた時には目を細めて遠くを見たくなった。
そのあと、故郷を口ずさみながら走った。
12時になる前に風船マンたちは一足早くゴールしていた。
この人たちの喜びが伝わってくる。
さっきまで一緒に走ってた人たちだっただけになんとも言えない感情になる。
その頃ぼくは自分自身と戦っていた。
『もうサブ3もできないんだし、歩いても良いんじゃね???』
心で何度も思った。
何度も何度も何度も思った。
そして、ついに心が
『歩いても良いよ。』
とつぶやいた。
止まろうとした瞬間、ぼくは脚を止めなかった。
違うだろ、サブ3をしなかったから止っていいなんて違うだろ!
ここまで走ってきた自分を裏切るのか?!?!
ここまで必死こいて走ってきたんだから、最後まで走ろうや!!!
心の中で弱い自分と強い自分が戦い、そして強い心が勝った瞬間だった。
スピードは落ちて、脚もつりながらボロボロだったけど、とにかく走った。
前に前に、ひたすら前に走った。
声援も何も聞こえなかった。
自分の呼吸と足音しか聞こえなかった。
ラストの直線で少しだけペースを上げた。
それが最後のあがきだった。
最後のちょっとだけスパートをしているところ。
ゴール手前で娘の声だけ聞こえた。
なんでだろうね、あの時は娘の声だけ聞こえたんだ。
そして、ゴール。
ゴールした瞬間。この顔に全てが込められている。
いつものことだが、その場に倒れ込みたかった。
倒れこむ場所がなかったからゴール地点で呆然と立ち尽くしていた。
前に進みたいが、脚が動かない。
隣で他のランナーも苦しんでいた。
その気持ちが痛いほどわかった。
別に一緒に走っていたわけではないが、抱き合って苦しみを共有したくなった。
しかし、お互い汗臭いし他人が見たら気持ち悪いだろうと思いやめた。
ギャルにしか目がないぼくが、この隣のおじさまと抱き合いたかったのだ。
相当じゃない???
何とか前に進み、女子高生がゼッケンの裏についてるタグを取ってくれた。
臭いのに申し訳ないと思うも、何もできない自分がいた。
一言「ありがとう」と力強く伝えてその場を後にした。
少し先に進むとアクエリアスが見えてきた。
喉が渇いていたのでいち早く飲みたかった。
すると、アクエリアスの先にコーラが見えた。
これはコーラを飲むしかないと思い、コーラが入ったコップを手に取り一気に飲み干した。
そのコーラがね、言葉で表現できないくらい美味しかったんだ!
ついつい、そこにいたボランティアスタッフに
『この世のものとは思えないくらい美味しい。おかわりちょうだい。』
と言ってもう一杯飲んだ。
やっぱりメチャクチャ美味しかった。
もう一杯もらった。
今度はその場に座ってゆっくり飲み出した。
やっぱり美味しかった。
立って、最後にもう一杯だけもらった。
コーラが入ったコップを持って、少し離れた場所に座って靴紐を解いた。
そこでも少しずつコーラを飲んでいると・・・
『あれ???なんだなんだ!?!?なんか気持ち悪くなってきたぞ!!!』
段々吐き気をもよおしてきたではないか!!!
その場で吐こうかと思い、あたりを見回すもボランティアスタッフが大勢いるため、排水溝で吐きたかったがそんなことできる雰囲気ではなかった。
急いで(と言ってもかなり動きは鈍い)完走証をもらいにいく。
この顔はきついってのもあるけど、とにかく吐くのを堪えてるところ。
ランナーのゲートを抜けると妻と子どもがいた。
やりきった顔。この姿を娘たちの脳裏に焼き付けたいから走っているというのもある。
どうだい?パパは頑張っただろ???お前たちも色んなことを頑張るんだぞ!
ここの動画もあるから後で確認していただきたい。
一言二言後に、「吐きたい」と言ってるのが微かに聞ける。
そのあと、トイレに行き吐いた。
ゲップと共にコーラが出てきたがそれと同時に胃液も出てきた。
走りながら水分補給をするとゲップが出るのだが、ぼくはその度に胃液が逆流してくるのでゲップはしないようにしている。
体質かなんかだろうね。
とにかく、吐いてスッキリして外に出た。
みんなで車に戻り、着替えを済ませて早く会場から出ようとした。
混むのが嫌だからね。
そこで事件は起こった。
着替えていると、ふくらはぎが強烈につりだした。
いつものことと思い伸ばそうとしたら、すねの横の筋肉がつりだした。
そこから全身がつりだしたのだ。(ツルマラソンじゃないのに!)
体のどこかを動かすとその部分がつるのだ。
脚全部、股関節、腹筋、肩、首、背中、もう全部だよ全部。
ぼくはもがき苦しんだ。
あまりにも痛くてどうしようもなかった。
そんな姿を見た妻がかなり動揺していた。
『救護呼ぼうか???』
普通に断った。
子どもは泣き始め、車の中がこの世の終わり状態になってきた。
それでも何とか着替えようとするぼくは、Tシャツを脱ぎ、パンツも脱ごうとするも途中でどうしても脱げなくなった。
チンチンがポローンと出てる状態でもがき苦しんだ。
さすがにポローンはやばいと思い、タオルで隠した。
その状態でひたすら痛みと戦いながら、考えた。
『これはなんだ???死ぬのか???こんなポローンの状態で死ぬのか!?!?いや、これは電解質不足だ!』
妻にアクエリアスを買ってきてもらい、一気に飲み干した。
すると急激に良くなった。
どうなるかと思ったが、何とか回復した。
公務員ランナーの川内君が走ったあと叫びながら悶えてるシーンをテレビで見たことあると思うが、あれになった。
あんな大げさにしなくてもいいのにと思っていたが、あれは嘘や演技ではなく本気だった。
それを身をもって知れたことは良い経験の一つとなった。
唯一そこで悔やまれるのはそのシーンをビデオで撮っていなかったことだ。
あれを撮っていたらすごく良い動画になったのだが、さすがに妻はそこまで頭が回らなかったようだ。
ちなみにぼくは、妻の出産の際、陣痛で苦しんでいる妻を撮ったり、隣で本を読んだりしていた。
何時でも冷静でいないとね!
看護師さんに怒られたけど・・・。
なんとか着替え終わり、帰宅した。
渋滞に巻き込まれることも一切なく、サクッと帰れた。
鹿児島に帰宅後そのままの足で買い物に出かけ、うどんを食べて、温泉に入り、やっとで自宅に着いた。
約2週間堪えたビールを飲む瞬間がやってきた。
これがまた美味しくないんだなぁ!!!
ランナーたちは走り終わった後のビールが美味しいと言うが、ぼくには全然わからない。
普段の仕事から帰ってきて飲むビールのほうがよっぽど美味しい。
21時過ぎに布団に入り、寝た。
夜中3時頃に目が覚め、眠れなくなった。
脳がまだ興奮していて眠れないのだ。
これもいつものことなので何も考えず時間が過ぎるのを待ち、いつの間に寝ていた。
これが青太一日の流れだ。
ここからは青大の総評を書く。
サブ3を目指すもあと少しの所で逃してしまった。
しかし、悔しくなかった。
なぜなら全力を出し切ったからだ。
あれはまさに全力だった。
ぼくは初めてフルマラソンで一度も歩かずに走りきった。
これは次に繋がる大きな一歩だ。
苦しみが大きければ大きいほど、そのあとにやってくる喜びも大きいと思う。
神様はまだぼくに走れと言っているのだろう。
37kmくらいでもう二度と走るかと思ったが、帰宅の途中で気持ちは次に向かっていた。
次は1月の菜の花マラソンだ。
アップダウンが激しくタイムは望めないかもしれないが、全力で挑もうと思う。
菜の花マラソンが残り1ヶ月もないから追い込み練習が中々できないが、出来ることを精一杯やろうと思う。
一つ一つ、一歩一歩、一秒一秒を大事に毎日を頑張っていこう。
その先にきっと何かが見えてくるんじゃないかな。
途中で寄り道したり、止まったりしても良いから、少しずつ前に進もうと思う。
そう自分に言い聞かせて今回の長い記事を終わる。
長文に付き合っていただきありがとうございました( ^ω^ )
第29回青島太平洋マラソン
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