第40回菜の花マラソン

元気ですかぁ!!!

元気があれば、なんでもできる!!!

元気があれば、マラソンも走れる!!!

ということで、菜の花マラソン走って来ました!

話を進める前に、皆さん、今年もよろしくお願いしますo(^o^)o

今年の目標は「挑戦」です!

チャレンジします!

後ろなんて振り返らず、前に前に進み続けます!

元気があればなんでもできる!!!

それでは菜の花マラソンのことを書き進めて参ります!

いつものように、以下敬称略します!

第40回菜の花マラソン

菜の花マラソン大会までの話

今回の菜の花マラソンの立ち位置は、3月に行われる鹿児島マラソンの練習の一環でしかないと考えていた。

9月に関ヶ原から走って帰って来た経験から、フルマラソンの練習で何より大事なことは、「長距離を走る」ということに気付いた。

10月と11月はポイント練習もそんなにすることなく、距離もそこまで走らず、身体の調子を整える程度にした。

12月から鹿児島マラソンに向けての追い込みを始めるので、その考えでいた。

スピード練習なんてしてもないのに、メチャクチャ調子が良くて、「もしかして菜の花でサブ3してしまうかもしれない」と本気で思っていたくらいだった。

12月の本格的練習メニューが始まり、初めてのポイント練習でペース走をしたら、左ふくらはぎの肉離れをしてしまった。

この日は、10kmのビルドアップでもしようかな、くらいに思って走り始めたのだが、走り始めからあまりに調子が良かったので、そのまま10kmのペース走をすることにした。

もう少しで折り返しの5km地点を迎えるところまで走った。

やはりそこまでも調子は良く、ポンポン脚が前に出ていた。

そして、4.8km地点にて左ふくらはぎに”バリ”っと電撃が走った。

ついつい「あっ」と声が出た。

すぐに足と時計を止めて状態を確認した。

その場で肉離れをしたと確信があった。

そのまま足を引きづりながら、家まで必死に歩いて帰った。

左ふくらはぎは腫れていたが、内出血は確認できなかったので、軽症の肉離れと思った。

2週間くらい走れないかな、と考えていたが、結局菜の花マラソンの1週間前まで走ることが出来なくなった。

なんとか走れないものかと試行錯誤しながら1ヶ月を過ごした。

しかし、菜の花マラソン8日前の土曜日には出場を諦めた。

足の回復がどうしようもないと判断したからだ。

年末年始ということもあり、日曜日と月曜日が休みだったので、最後の確認と思い走ってみた。

もちろん試行錯誤しながらね。

日曜日に6km走ったら、なんと痛みが出なかった!

ここに来てやっとで痛みの出ない走り方を習得したのだ!

自分でもなんでこんなギリギリの人生を歩んでるのだろうかと悩んだりもするけど、常にこんな感じで生きてるので、最早慣れてきた。

次の日の月曜日に10〜16km走ってみようと思い、家をスタートしたら、13km走れた。

これでなんとか菜の花マラソンに参加出来るような気がした。

しかし、実際当日走ってみないと全くわからない状況だった。

もしかしたら20kmくらいで足に電撃が走って終わるかも、とか色々考えながら菜の花マラソン当日を迎えた。

とりあえずのプランとしては、最後尾あたりから走って13kmくらいの池田湖までゆっくりと走り、そこから状態を確認しながら出来たらサブ4(4時間以内で走ること)を目指してみようと考えた。

さて、スタート!

そもそも、マラソン大会は3年前の熊本城マラソン以来だった。

やはり大会のあの独特の緊張感は良いものだ。

車の中で落武者メイクをして、スタート地点を目指して移動した。

↑菜の花マラソンだけに鼻に黄色を塗ってみた↑

↑落武者の完成形↑

最後尾周辺にたどり着くと、患者さんに出会い少し話をした。

そしてついにスタートの号砲が鳴り、花火がバンバン鳴り始めた。

少しずつ前が進み出して、スタート地点を過ぎるまで7分くらいかかったかな?

その後も数kmは早歩きくらいのペースで走った。

前が空いたらすかさず前に進んだ。

確か2kmくらいで50代くらいの女性ランナーに声をかけられ、写真を一緒に撮ることになった。

写真なんて関ヶ原から敵中突破した時、信じられないレベルで撮られたので、こなれたもんよ。

女性の肩に手をやり、ニヒルな顔で撮った。

全く知らない女性だったが、今頃スマホの待ち受け画面は落武者のはずだ。

5kmくらいで2人目の患者さんに声をかけられた。

『せんせ〜、坂上せんせ〜!』

落武者をしてる時に実名を挙げられると非常に恥ずかしいことがわかった。

しかも、今だに「先生」と呼ばれることに違和感を感じている。

大したこともしてないのに、先生だなんておこがましい限りだ。

少しだけその2人目の患者さんと話をして、風のようにその場から走り去った。

実はカッコつけて早く走り去ったことはここだけの話。

さて、7kmを過ぎた辺りから道が広くなり、ランナー渋滞も解消される。

そこから少し走ったら、3人目の患者さんがボランティアで交通整理をされていた。

お互い危うく会えなくなる瞬間だったが、横を見たらその方が居たので手を振って挨拶をして走り去った。

もちろん、カッコつけてね。

そこでカッコつけた影響で痛めていた左ふくらはぎに少し電気が走った。

まさか、ここで終わりか?と思ったが、スピードを緩め、走り方に気を付けていたらその後痛みが出ることはなかった。

↑スタートから11kmまでこんな感じ↑

そのままスタスタと走ってると、池田湖が見えて来た。

ちょっとテンションが上がってしまい、ペースが上がりかけたが、先ほどの電気のこともあり、自重出来た。

この日はとても天気が良く、池田湖と菜の花と青空のコントラストが非常に綺麗だった。

ここの写真をちゃんと撮ってれば良かったと後々思ったが、あとのフェスティバル。

とりあえず、トイレに入って用を済ませた。

出てから、よし出発だ、と思ったら関ヶ原敵中突破を共にした戦友がそこに!

↑戦友は普通の姿で走っていた↑

話をしながら、少し一緒に走り、ぼくは戦友の元から走り去った。

その戦友は男性だったので、カッコつける必要はないと判断し、普通に走り去った。

その後、4人目の知り合いである、書道家ランナーを発見した。

一生懸命前を向いて淡々と走っていた。

気付かれること無く謎の並走をしていたら、やっとで気付いてくれた。

↑こんなに派手な格好に気付かないとは!↑

ちょこっと話をして、写真を撮って走り去ろうとしたら、「一緒に走ろうかな!」とテンションが上がってるのか、無謀にもぼくについて来ようとしたので、自分のペースで走るよう促し、颯爽と姿勢を正し、走り去った。

人生楽ありゃ苦もあるさ〜

この菜の花マラソンという大会は、ほとんどアップダウンしかないコースを走らせる。

ぼくの人生のようにアップダウンしている。

いつどこを走ってても、降ってるか、登ってるか。

なんだかんだ、足に痛みが出ることなく走れていたものの、いつ来るかわからない痛みを警戒しながらハーフ地点を過ぎた。

その時点で確か2時間9分くらいだったと思う。

なので、この感じだとサブ4は無理かな?と思っていた。

4時間5分前後でゴールかなぁ?と計算しながらだったけど、考えても何も変わらんと思い直し、とにかく、32kmまで走り続けることに目標を変えた。

32kmまで走れば後の10kmは歩いても着くので、何とかなると思った。

↑12〜23kmまでこんな感じ↑

24km前後に、ミッキーおばちゃんが居た。

相変わらず元気そうに、声を張り上げて応援していた。

コロナの影響もあり、ハイタッチはせずだったが、ランナーもおばちゃんもハイタッチしたくてかなりウズウズしている様子に、なんとも言えない感動があった。

みんながおばちゃんに声をかけていた。

『おばちゃ〜ん、元気しとった〜!?』

『元気で頑張ってね〜!!』

今大会最高の思い出のシーンだった。

その光景に若干涙した落武者だったが、おばちゃんに「ありがとう!」とだけ伝えてその場を走り去った。

マラソン大会はランナーだけじゃなく、応援する人たちも一緒になって作り上げていくものだと改めて実感した。

思い出のマーニー出現

26km過ぎに黄色のハンカチの大群が見えて来た。

そこは毎年菜の花マラソンのためだけに、黄色のハンカチを掲げ、様々な食べ物や飲み物、足湯などを用意していただいている。

本当にありがたい限りで、感謝の気持ちしかない。

そこでカツオの腹側をいただき、本当に美味しく食べた。

反対側がざわついてる感じがしたので、そっちを見ると多分高校の金管バンドの子達がたくさんいた。

そういえば自分が落武者してたんだと、我に返った。

何かしなきゃと思ったが、特に思い付かず、ニヤっと笑ってその場を走り去った。

ぼくが通った時は演奏をしてなかったが、多くのランナーたちを鼓舞していたことだろう。

本当にありがたい限りだ。

その場から走り去ってすぐ、5人目の患者さんと出会った。

11月に福岡マラソンを走って、初のフルマラソンでサブ4をした男性だった。

一緒に走りながら話をしていると、どうやら福岡マラソンで燃え尽き症候群になったらしく、全然走ってなかったらしい。

一目見たら体格が大きくなってることはすぐにわかった。

↑笑顔が超好印象な燃え尽きランナー↑

どこまでいけるかわからないけど、引っ張れるだけ引っ張るかと思い、3kmくらい一緒に走ったはず。

しかし、ペースが遅れていたので、ぼくは手を振り、走り去った。

当然ながら男性なのでサラッと走り去った。

その後、かなりスタイルの良いギャルが洒落た服装で走っていた。

『このまま一緒にゴールしたい!』

『ゴールした後ハグしあいたい!』

『ゴールした後、うどんを食べながら思い出をマーニーしたい!』

そんなことを妄想しながら、横を颯爽と走り去った。

姿勢良く、スピードを上げ、呼吸を一切乱すことなく、見事に走り去った。

バレー部女子出現!

思い出のマーニーと別れた落武者は、なんだかんだで、山川港(33km地点くらい)に着いた。

そもそもこの1ヶ月で20kmくらいしか走ってないのに、この時点で1.5倍走っていたので、当然ながら体のどこそこに痛みが出ていた。

しかし、これまで怪我という怪我を乗り越えてきてるので、痛みが強くならない走り方を知っているぼくにとって、さほど問題ではなかった。

登り坂の走り方もある程度習得していたので、特に問題なく坂道も走って登り切っていた。

とにかく、歩くことなく、淡々とゴールを目指して走ることに目標を切り替えた。

その辺から、多分バレー部であろう女性が数十メートル先に見えたので、追い付こうと頑張った。

結構良い走りをしていたけど、肩掛けのバッグが邪魔そうに走っていた。

その影響からか、肩を気にしていた様子だった。

その女性に一声話しかけようか迷ったが、そこはやはり颯爽と抜き去った。

その後、なんとなくトイレに行ってみようと思いトイレに入ったけど、行かなくても良かったなと思うくらいしか出なかった。

そこの補給エイドで梅干しをいただいた。

給水について

そういえば給水のことを書いてなかった。

この日は陽射しがとても強く、汗が結構出ていた。

給水所では毎回コップ2杯分の給水をして、脱水による脚の攣りには最大限の警戒をした。

そのおかげもあってか、最後まで攣ることなく走れた。

マラソン大会中に脚が攣るのは、ほぼほぼ水分不足が原因だ。

途中水分たくさん摂ってるつもりでも、全然足りないのだ。

尚且つ、カーボローディングをすることで、エネルギーだけでなく、水分も体に蓄える必要がある。

尚且つ、水分補給直前にマルトデキストリンを飲むことで、胃の中に入れた水分を即座に腸に送り込み、吸収させる必要がある。

マラソンとは、走ってる時の水分補給だけでも、かなり奥が深いものがある。

話を元の位置へ!

話を戻そう。

↑24〜35kmがこんな感じ↑

梅干しを食べたぼくは、なんだか元気が蘇ってきた。

そして、37km地点くらいにある、最後の激坂に辿り着いた。

この坂は本当にキッツイんだよね。

勾配もそれなりにあるし、長いんだよ。

その坂ではほとんどのランナーが歩いていた。

人生常に反抗期のぼくは、何が何でも歩いてなるものかと意地になりながらも、なんとか走って登り切った。

登り坂は確かにキツイんだけど、登り切ったらその先には降り坂があることが多い。

その降り坂で呼吸を整えれば良いので、実はなんとかなる。

そんな感じでこの激坂を登り切った。

ラストスパート!

ゴールまで残り5kmくらいになった。

時計を見たらなんだかギリギリサブ4出来そうなタイムな気がした。

残りの距離を5:00/km以内で走ればなんとかいけそうだった。

よし、ここから追い込むか!と最後の力を振り絞る決意をした。

左脚が痛くなったらそれまでだと思い、この時の自分の身体と心肺機能を追い込み始めた。

そこからは抜き去るランナーになるべく声をかけながら走った。

先ほど追い越したバレー部出身らしき女性がいた。

トイレで追い越されたのだろう、相変わらず良い走りで自分と戦っている様子だった。

その女性には何も言わず、颯爽と追い越し、最後の曲がり角をキプチョゲのように走った。

そこが大体39km地点だったので、残り3kmくらいか。

確か40kmくらいで「間に合うかなぁ!?」と言いながら走ってる男性がいたので、「まだギリギリ間に合いますよ!ぼくに着いて来て!」と言って引っ張って走った。

旅館の白水館が見えたら、そこら辺から残り1kmだ。

最後の力を振り絞り、自分が落武者だということなんて忘れて力の限り走った。

ついに競技場が見えてきた。

ラストスパートをしているので、酸欠からくる吐き気が押し寄せてきた。

スピードが若干落ちた。

競技場の横に着くと、たくさんの声援があった。

家族の声が聞こえて、目視したが、最早それどころではない。

残り400mくらいになっただろうか、ここから時計を見ることなく、ゴールだけを目指して必死に走った。

競技場の中に入り、ついにゴールラインを通り越した。

時計を止めて、クルリと後ろを振り返り、一礼して菜の花マラソンに関わった全ての人へ感謝の気持ちを呟いた。

『ありがとうございました。』

それから時計を見たら、3:59:42と書かれていた。

↑36km〜ゴールまで↑

かなりギリギリでサブ4は達成できた。

今更サブ4をしたところでなんてことはないんだけど、この1ヶ月走れてなかった中で、42kmを走り切ったことが何より嬉しかった。

走り終わって、トコトコと歩いていると、先ほど40km地点くらいで鼓舞した方から声をかけられた。

『いや〜、ギリギリ間に合わなかったよ!』

『タイムはどれくらいでしたか?』

『4:00:18だった!』

『う〜ん、ネクストですね!次頑張りましょう!』

こんな感じの会話をした。

本当はあのギャルランナーのマーニーと話したかった。

抱擁したかった。

家族を先に車に行かせて、そのギャルと一緒にうどんを食べたかった。

そんな邪な気持ちがあったことはここだけの話。

タオルを受け取り、水分補給をして、靴についてたタグを外してもらい、家族と合流した。

うどんでも食べようかと移動してると、声をかけられた。

YouTubeかブログかわからないけど、落武者のことを知っているとのことだった。

いや〜、お恥ずかしい限りです。

声をかけていただきありがとうございました。

うどんを食べて車に移動し帰宅の途へ…。

スピードは違うけど…

こんな感じで3年ぶりのマラソン大会を終えた。

今回走って思ったのは、やっぱりマラソン大会って良いね!

普段生活してて、他人から応援されることなんてまず無い。

42kmをあんな大人数で走ることなんてまず無い。

同じスタート地点から、同じゴールを目指す。

速さに違いはあれど、走る距離は同じ。

そこに年齢・性別なんて関係ない。

全ての人に平等に用意されている。

だからこそ、走った人の数だけ想いがある。

コロナ野郎のせいでこんな状況になってるけど、全てのマラソン大会がまた昔のような盛況を取り戻せるよう切に願っている。

終わり!

以上で終わります!

長文にお付き合いありがとうございました!

次は3月の第1週に開催される、鹿児島マラソンに出場予定です!

残り少ない期間しかありませんが、自分の出来る限り追い込んで鹿児島マラソンに挑みます!

サブ3は難しそうなので、3時間15分前後を目指して走ろうと思います!

またランノートで鹿児島マラソン編を書いていくと思いますので、そちらの方もお楽しみに〜(^ ^)

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • (最近のネタ)大学時代(20代)の時、
    お見合いマラソンを先頭で走っていたホモが大学にいました。
    あれから20年過ぎ、そのホモが最近3時間前半でフルマラソンを完走したのを
    ネットで知りました。
    ホモが、練習している落ち武者より早く走るのを知って正直ショックでした。
    落ち武者がんばって

    • >>アニメ師匠ZZさん

      1ヶ月走れてなかったので、またすぐ戻しますよ!

      その方も3時間前半で走ったということは、かなり練習をされたんだと思います!
      ホモでもなんでも、頑張ってることに変わりはないですよ!

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