虫垂炎(盲腸)になっちゃった!

ゴールデンウィークが始まるという日の前日にぼくの新たな物語は始まった。
4月28日の木曜日、ぼくは猛烈な腹痛により夜の8時前後に市立病院へ救急で診察にいった。
病名は「急性虫垂炎」次の日に緊急オペとなり、その日の夜から入院することとなった。
あんな壮絶な夜を過ごしたのは人生で初めてだった。
タダでは転ばないぼくは、何かにメモすることを忘れないようにするためツイッターで実況することにした。
では、ことの始まりから説明していこうと思う。
毎度のごとく長文だが、それなりに面白いと思うので一読をお勧めする。
 
 
全ての始まりは、鹿児島マラソンが終わってからだった。
鹿児島マラソンが終わり、その次の日から少し微熱があった。
フルマラソンの疲れからくる抵抗力の低下と思ったが、次の日には良くなると思った。
しかし、それが1週間続いた。
その間ランニングは休憩期間として走らなかった。
次の週、胃が痛くなった。
お米を玄米にしたため、消化不良による胃痛と思って気にしなかった。
気にせずランニングは続けていた。
1週間すると胃痛はなくなるも、また微熱が再発する。
風邪が完全に治りきってないのかと思った。
それと、「食」の勉強のため人体実験中で色々試行錯誤していたため、一時的な栄養不足による抵抗力低下によるものと考えていた。
思うようにランニングができないまま1ヶ月が続いた。
その間、微熱が出たり出なかったりを繰り返していた。
1ヶ月すぎて、玄米でなく7分付き米や5分付き米を食べることにした。
するとまた胃が痛くなった。
どういうことかと試行錯誤しながら人体実験を繰り返した。
少しずつぼくの体は病に蝕まれていた。
ランニング中もなんだか走れなくなってきた。
そんなに距離を走ってないのになぜか歩くようになった。
スピードを緩めて走ろうとするも、どうしても歩いてしまっていた。
練習があまりできていないからと自分の中で解決していた。
今ランノートを見ると練習不足にしてもおかしなタイムであることがわかる。
直近のレースがないため気が抜けていたのだろうと思い込んでいた。
 
4月24日(日)、朝16kmのペース走の為走りに出かけた。
序盤は良い感じで走れ、中盤を過ぎペースが少しずつ上がってきて、これからという時に突然脚が止まった。
『胃が痛い。』
いつもの右脇腹ではなくみぞおち部分が痛かった。
そして、段々気持ち悪くなった。
「また風邪か」と思い、気にせず1km歩いてまたペースを上げて走り出した。
しかし、スピードが上がらない。
距離はそんなに走ってないし、残り少ないからスピードは上げれるはずなのに、どうしても走れなくなっていた。
そのまま家に帰り着いたが、それでもそこまで深く考えなかった。
 
ついにその日がやってきた。
 
次の日の月曜日、胃痛が激しくでた。
動作始めで激痛が走り出した。
走ると激痛でそれどころじゃなかった。
最初は腸捻転ではないかと疑い、腸捻転についてググっていた。
「腸が捻じれてるんだったら、走れば捻じれてるのがほどけて治るはず」という意味不明な自己回復力を信じ通勤で激痛に耐えながら走った。
さすがに通勤以外でのランニングはできそうもなく、やめた。
火曜日になり、微熱が出だし、胃痛がお腹全体に拡がっているような気がしてきた。
しかも、痛みがどんどん鮮烈となり、激痛が増してきた。
動くたびに痛みが走るも、気持ちの問題と一蹴し、患者さんと笑顔で接する。
夜寝てる時も痛みで何度も起き、眠れなくなってきた。
水曜日、痛みは増す一方であり、これはさすがに病院に行ったほうが良いのではないかと考え出すも、まだ自分の自然治癒力を信じ、通勤で激痛に耐えながら走る。
熱が上がらず、微熱ということもあり、意味不明に治す自信がどこかにあった。
腸捻転はさすがにないと思い、自分の症状を「腹部 激痛 微熱」でググりだす。
この日にどんなことを他にググったか過去の履歴をチェックしたら、「大往生」とかをググっていた。
もう痛さのあまり死ぬことも考えてたんだろう。
我ながら笑ってしまった。
とにかく、ググるとどうやらこれは虫垂炎(一般的な呼称は盲腸)だということに気付き、色々と調べ出した。
調べれば調べるほど虫垂炎である確率が高くなってきた。
そこでもなぜか、走れば詰まったものが流れて治るはずと意味不明な自然治癒力を信じ帰りも激痛に耐えながら走って帰った。
木曜日、ついに走ることが不可能な痛みになった。
歩くたびに激痛が走り、姿勢を真っ直ぐしては歩くことができる状態ではなくなっていた。
体を丸め、腹部の痛みをかばうように歩いた。
胃痛と思っていた部分も下腹部全体に移り、右下腹部の方がどちらかというと痛いくらいになった。
虫垂炎の症状の一つである、右下腹部を押した時より離した時の方が痛みが強いというのも試すとどちらも痛いのだが、どちらかというと確かに離した時の方が痛かった。
これは確実に虫垂炎だと確信し始め、午後を過ぎると痛みがさらに激しさを増してきて笑えない状況になってきた。
ゴールデンウィーク前ということもあり、患者さんが立て込んでいたが、もうそれどころではなくなっていたため、17時前に整骨院を拳汰さんに任せ、病院に行くことにした。
そこの病院は何とも適当な感じで診察をされ、採血だけして終わり、「痛みが酷くなったら市立病院にいって。」と言われ、薬を処方されるも、紹介状は書いていなかった。
どうにかして症状を和らげようと、その場で薬を飲むも全く効かず、その病院を出て整骨院に帰る。
整骨院は患者さんでごった返していたため、少しだけ拳汰さんの手伝いをして、患者さんに家まで送ってもらった。
家に帰り着くと、もうどうしようもないくらい極めて鮮烈で猛烈な痛みになり、すぐに市立病院に妻が電話をして確認すると、緊急で受け入れてくれるとのことだった。
救急車を呼ぼうかなと思ったけど、まだそこまでではないと思い、自分の運転で市立病院に向かった。
10分くらい運転すると、意識を失いそうなほどの痛みになってきた。
それでも気を確かにもちながら運転し、なんとか市立病院に着いた。
車を降りるともうどうしようもないレベルになっていた。
腰が曲がって明らかに普通ではない状態になり、脂汗をかき、激痛に耐えながら緊急の受付を見つけた。
受付では普通に座ることもできず、ソファーで横になっていた。
もう無理だった。
名前を呼ばれ、なんとか歩きストレッチャーに横になった。
そこでは、先ほどの病院とは全く違い様々な検査をした。
レントゲン、エコー、注射、CT、全てをチェックした後、お医者さんからのちゃんとした説明があり、「急性虫垂炎」と診断された。
その説明の時は痛み止めの注射を打たれていたため、なんだか楽だった。
そのまま緊急入院することになり、次の日の朝一で手術をすることになった。
初めての入院ということもあり、なんだか意味不明にワクワクドキドキした。
この時は痛み止めが効いていたため、余裕があったんだ。
車椅子で病室まで行き、ベッドに横になり、点滴をされながら寝ることとなった。
これが地獄の始まりだとは思いもしなかった。
 
今回はここで終わる。
ぼくは今日他にやらなければならない重要なことがあるのだ。
次の記事では、Twitterでどんなことを呟いているの確認しながら書いていこうと思う。
それなりに面白いと思うから是非一読をお勧めする。

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