マラソンを始めての想い

いきなりですが、思う事ありましてぼくの心の中のことを書きます。
真面目な内容になりますし、特に大した内容ではありませんので読まなくてもいいです。
長文になると思います。
以後敬語略します。
 
 
昨日18kmのペース走をした。
1ヶ月後に控えた青島太平洋マラソン大会のために、今週・来週がピークに追い込む時期だ。
先週まで順調に調子を上げて練習してきていたし、新たな取り組みも今の自分にハマっていた。
先週16kmペース走が4:04/kmでかなり余裕を持って終えることができ、日曜日の33kmビルドアップも4:37/km(7km),4:23/km(11km),4:08/km(12km)と順調に上げる事が出来ていた。
本当に調子が良いと感じていた。
ビルドアップを走り終えた後からいつもと違う違和感があった。
いつもよりなんだかイライラしていた。
大会前は毎回イライラするのだが、それとは違う”何か”を感じていた。
月曜日は休みなので走らず、火曜日はいつもより若干疲労を感じたので12kmのジョグにした。
ふくらはぎに少しの筋肉痛を感じたが、特に問題なく良い感じで走れた。
水曜日の朝、いつもの時間になり起きようとするも体が起き上がってくれなかった。
いつもより体が怠いし強い疲労感があり休む事にした。
そこにはちゃんとした原因があった。
火曜日に間食をし過ぎたのだ。
日曜日に頑張ってロングをしたので体がエネルギーを欲していた。
そのエネルギーを補うために本来であればちゃんとした食事でエネルギーを摂らなければならないのに、ひたすら間食した。
隣のパン屋さんでパンを2個、患者さんから頂いたお菓子類多数、アイス、みかん2個、かっぱえびせん、ナッツ類、アルコール(いつもの摂取量の倍は飲んだ)。
これだけの量を常に間食し続けたことにより血糖値が一気に上がった。
インスリン(インスリンは血糖値を下げるホルモン)が出っぱなしになり、低血糖になり次なる糖分を欲するという悪循環に陥ってしまった。
この一連の体内の働きにより内臓が疲れてしまったのだ。
それにより朝起きれなくなったのだ。
我ながら反省した。
次の日、すなわち木曜日のペース走は絶対走り切ろうと思った。
しかし、水曜日の昼寝をする際いつもはすぐ眠りにつくのに全然寝れなかった。
自分の拍動が強いのと速いことで眠れなかった。
その時に脈拍数を計ったら60もあった。
通常安静時脈拍数は46前後なのにこの数字は明らかにおかしかった。
水曜日の夜、眠りについてすぐに寝たのだが夜中にまた自分の拍動で起きてしまい、中々寝付けなくなった。
浅い睡眠を繰り返し、朝になりペース走に出かけた。
最初の1kmで先週との自分の感じを比べながら走った。
1kmを走りタイムを見たら、先週の最初の1kmより20秒近くも遅くなっていた。
少し焦りそこからタイムを上げていこうと思ったが、中々思ったように上げる事が出来なかった。
5kmを走った時点でハッとなった。
 
『これは疲労が溜まっているんだ。』
 
ぼくは自分の練習を管理しきれていると思っていたがいつの間に疲労が溜まっていたのだ。
そこでぼくはペース走をやめようと思ったが、タイムが遅くなっても良いから今の自分に出来る練習をしようと思い直し、距離を16kmにして4:10/km以内を目指して走る事にした。
それからは焦る事なく自分の現状を見極め今の自分に適したペースを探りながら脚をとめることなく走った。
途中脚が冷えてきたり、走っているにも関わらず寒気を感じてきた。
今までにない感覚だった。
何とかそれらを乗り越え16kmを走り終えた。
タイムは4:08/kmだったので途中で変更した設定タイムには届いた。
クールダウンジョグをしているときに深く考えさせられた。
この出来事というか5km地点で自分の疲労に気付いたのは、紛れもなくこれまでの経験があったからだ。
前日の心拍数が60になってる時点で気付けよって話なんだけどさ。
これまでサブ3を出来ずにいる自分は何て情けないんだと思っていた。
あの練習の日々は無駄だったんだと思ったりもした。
けど、そんな過去があったからこそ気付けた。
これまで積み上げてきたものが毎年毎年崩れて無くなっていたと思ってたけど、積み上げてきたものは確実に土台となって積み重なっていた。
過去の失敗は決して無駄ではなかった。
むしろ失敗があったから今がある。
そのことともう一つ気付かされたことがあった。
 
自分の中に「過信」があった。
順調に練習が出来てるから、順調にタイムも距離も伸ばしていけているから、今の練習内容が良いからなどをあまりにも良く捉え過ぎていた節があった。
何でもそうだが、過信がある時はその後歯車が外れることが多い。
それは整骨院経営でもそうだ。
ぼくがマラソンを続けれているのは、マラソンが整骨院経営と重なる部分が多々あるということも大きな要因の一つにある。
順調に整骨院が軌道にのっていると過信しているとその後必ず経営が落ち込む時がくる。
逆に現状にあぐらをかくことなく、常に努力し前に向かって確実に歩いている時は必ず前に向かって進むものだ。
ぼくが好きな言葉の一つに日露戦争後に東郷平八郎元帥が出した「連合艦隊解散の辞」の最後の文がある。
 
『神は平素ひたすら鍛錬に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠をとりあげてしまうであろう。
 昔のことわざにも教えている「勝ってかぶとの緒を締めよ」と。』

 
クールダウンジョグの時に久しぶりにこの言葉を思い出した。
別に勝った負けたの話ではないのだが、ぼくが言いたいことはわかると思う。
我ながら自分は堅苦しい人間だなと思ったりもするがこればかりはしょうがない。
自分は自分であって、すでに30代半ばの人間である。
根本的な自分を変えることは簡単に出来ない歳になってしまっている。
だったらこんなありのままの自分を受け入れるしかない。
と思っていたら、ある漫画にこんなことが書かれていた。
 

ドラゴンボール超 4 (ジャンプコミックス) 

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世界的に有名な漫画の一つであるドラゴンボールの続きの漫画である「ドラゴンボール超」の4巻の末尾に原作の鳥山明先生と画を描いてるとよたろう先生の対談があった。
その対談の最後にこう書かれていた。
 
鳥山明先生:あとはそうだな・・・あえて言うなら「丁寧すぎ」かな!特に闘いのシーンなんかでは、逆にちょっとだけ手を抜いてみるといいかもしれない。
とよたろう先生:戦闘シーンは本当に難しくて、いつも悩んでいるんですよね…。
鳥山明先生:ボクも闘いを描くのは苦手だったんですよ。でもね、あえてラフなタッチで描く事で、逆にいい効果を生む事もあるものなんですよ。だから手抜きは大事(笑)。それで完璧だね!
とよたろう先生:勉強になります!
 
鳥山明先生ほどの人でも手を抜くことをしていることに驚きと感嘆してしまった。
むしろ手を抜いた方が良いとまで言っているではないか!
 
『手を抜く事も大事』
 
確かに思い詰め過ぎても真面目過ぎてもダメだよね。
真面目に練習することはするけど、あまりにも生真面目になり過ぎず、たまには手を抜いてみようかな。
 
色んなところに人生の役に立つことがある。
それは東郷平八郎元帥であったり漫画であったり多種多様だ。
それらに気付けるようにアンテナを張って生きていこうと思った今日この頃。
気付けるかどうかは、それがその時の自分に必要だから気付けるものであって常に何でも気付けるものではない。
よし、また今日も一日頑張ろう。
(たまには足を抜きながらね!)

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • BORN TO RUNは読まれましたか?
    走ることに関する書籍特集なども
    是非やってほしいです。

    • >>亀さん
      お久しぶりです〜( ^ω^ )
      読みましたよ〜♪( ´▽`)
      本を読むことが好きなのでそれなりに本は読んでます!
      なるべく読んだ本のことをアップしていこうとは思います!
      特集は…、気が向いたら書きます!

  • 私の好きな言葉は「人生はチャレンジだ」
    初代三冠ヘビー級王者 ジャンボ鶴田さんの座右の銘
    間食は、スルメかコンブがいいぞ

    • >>アニメ師匠さん
      「人生はチャレンジ」
      まさにその通りですね。
      何かしないと始まりませんもんね!
      スルメは臭くなりそうなのでコンブを試してみます!

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