挫折

今回は真面目な内容です。
ぼくの挫折に関することです。
興味ない方は見ないでください。
見てから批判的コメントとか本当いらないです。
世の中には本当にわけのわからない人間がいて、暇な輩が批判的コメントをしてくるので先に書いときました。
どうせそんなコメントすぐ消すし、コメント出来ないようにするし、IPアドレス晒してその人のプロバイダーにも連絡しますので悪しからず〜。
 
では本題です。
ぼくの人生最大の挫折は航空自衛隊を辞めたときです。
(以前ブログで書きましたが改めて書きます。)
パイロットになりたくて航空自衛隊の航空学生という部隊に入りました。
ぼくは高校卒業まで物事のある程度を標準以上にこなすことが出来ていました。
航空学生の中でも標準以上に出来ていました。
ただ一つのことを除いて。
それが走ることでした。
長距離がとにかく苦手だし嫌いでした。
辞めた理由を簡単に書くと「走ることが嫌過ぎた」になりますが、走ることが嫌というより、走れない自分が嫌でした。
今まで確かに長距離は苦手でしたが、一番遅かったことが何より嫌でした。
走ることが嫌というより、この目の前の事実がとにかくプライドをズタズタにしました。
今思い返すと何ともくだらないプライドですが、その時の自分にとってはとても大きなことでした。
一度砕けた心は中々戻すことが出来ませんでした。
航空学生の先輩、教官、親、恩師、友人みんなに留められました。
慰められている自分にも情けなさを感じ、どこかに逃げ道を探しそのまま逃げるように辞めました。
実家に帰ってもぼくの居場所はないように感じました。
毎晩泣き崩れていました。
次の道を探そうにも小学生の頃からの目標だったパイロットになることが出来なくなったため、中々軌道修正することが出来ませんでした。
目的もなく外に出て、途方もなく歩き続けました。
ある日、気付いたら知らないマンションの最上階の非常階段の上に立っていました。
死にたかった。
この世から消え去りたかった。
生きてる意味も価値もないと思って飛び降りようとしました。
しかし、風が吹いて体がグラついた瞬間、急に我に返り怖くなって飛び降りることをやめました。
辞めてから毎晩のように航空学生の夢を見ました。
叫ぶように起きたこともあれば、汗だくで起きたり、泣いて起きたりしました。
いつになったらこの悪夢から解放されるのかとずっと一人で悩み続けていました。
自衛隊のことを面白おかしく話したりすることもありましたが、心の底にはずっと悪夢として蔓延っていました。
誰に話しても解決することは出来ず、これは一生見続けることなのかと思っていました。
 
30歳のある時からその悪夢を見なくなりました。
ピタッと見なくなりました。
菜の花マラソンを走った後からです。
30歳になり何かを変えないといけないと思っていたぼくは、自分が最も苦手である長距離に挑戦することにしました。
痩せたいとか30歳の節目だからとか色々理由はありましたが、何より大きかったのは挑戦しないと自分が変わらないと思ったからです。
結果は5時間48分でした。
「二度と走るか!」
「やっぱ長距離は自分に合ってないんだ!」
「こんなきつい思いして何になるんだ!」
散々思いました。
数日後、完走証を見ると順位が真ん中くらいでした。
「あれ?もう少し頑張れば順位も良くなるんじゃね?」
と軽く思い少しずつ走り始めました。
 
これがぼくの第二の人生の始まりでした。
今ではサブ3(フルマラソンを3時間切って走ること)まで目の前となるほどのレベルになりました。
マラソンを始めて様々な勉強をしました。
身体・運動学・栄養・ホルモン・睡眠などもっとたくさんのことを勉強してきました。
(今でも勉強は途中であり一生続くことだと思っています。)
その勉強の中でわかったことがあります。
これもブログの中で何度か書いてることですが再度書きます。
苦手と思っていたことは、実は努力をしていなかった、もしくは努力の仕方を知らなかっただけでした。
この事実はぼくにとって大きな発見でした。
世の中大概はこれに尽きると思います。
よく言われることだけど、努力せずして成長することは絶対にありえない。
もしかしたら努力せず出来る人もいるかもしれません。
宝くじレベルの確率でいるかもしれません。
自分が宝くじレベルの人間だと思うならそれで良いでしょう。
航空学生を辞めるまでぼくは宝くじレベルの人間と思っていたでしょう。
努力に勝るものはありません。
その事実に気付いてからぼくは初めて努力の意味を理解しました。
「がむしゃらに努力するのではなく、目標・目的に合った努力をしないと成功するものもしない。」
そのために無駄な努力をし続けなければなりません。
矛盾しているようですが、この無駄な努力は絶対必要です。
無駄な努力を続けることで無駄な努力をしなくなります。
無駄を無駄と知ることが何より大事なのではないでしょうか。
そのためには挑戦しないと何も始まりません。
 
人の価値観で挫折の大きさは変わると思いますが、ぼくにとっての最大の挫折は上記の通りです。
その挫折が大きければ大きいほど、克服した時に得るものも同じように大きいのではないでしょうか。
マラソンを始めたことで自分の中に確かなものを得ることが出来ました。
今では自分の生きる糧にもなっています。
これから自分がどのような人生を過ごすか全く予想出来ませんが、ひたむきに努力を続けていこうと思います。
 
菜の花マラソンを走ってから悪夢を見なくなりました。
たま〜に自衛隊の夢を見ますが、昔と違って悪夢ではありません。
苦手なことを受け入れ、努力を重ねることで人は変わっていきます。
無駄な努力であろうと、それは決して無駄ではありません。
皆さんに問いたいです。
他人から無駄と言われることをやってますか?
他人には理解し難いことをやってますか?
他人が笑うようなことを信念を持ってやってますか?
胸を張って言い切ります。
『ぼくはやってます。』
あの挫折があったからこそぼくがぼくであるし、今のぼくがいます。
何が成功かなんてわからないけど、ぼくは努力をし続けていこうと思います。

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • 私は中学校から27歳までバレーボールをやってました。中学校も高校も自分のミスで現役生活が終わり、27歳でバレーから離れた後も定期的にバレーの試合で失敗するという悪夢を見続けていました。そんな時、友人から菜の花マラソンに誘われて出ることに。子どもの頃から走るのが苦手で、いつもマラソン大会は後ろから数えた方が早かったので、まさか自分がマラソンを走ることになるとは思ってませんでした。初めてのマラソンは4時間38分1秒。その後も落ち武者先生ほど速くはないものの、8年間走り続け、悪夢を見ることはなくなりました。
    びっくりするほど成長のスピードが遅く、いつも「宝くじレベルの確率」で自分より速く走る人たちを妬んでいますが、妬みながらも努力をするしかないことも理解しています。だいぶ先かも知れませんが、サブ3に向けて努力しようと思います。
    先生の挫折に比べて小さい挫折ですが、なんだか共感してしまい、お話したこともないのに突然失礼しました。先生のところに通ってる知人が多くいて先生のお話をお伺いしたり、鹿児島マラソンでも、菜の花マラソンでもお姿拝見して勇気づけられています。また、お邪魔します。

    • >>noseさん
      挫折の大きさはあるかもしれませんが、みんな人それぞれ挫折をしていると思います。
      他人のすごい話を聞くと自分の挫折なんて大したことないと思いますが、その時の自分は世の中で一番きついと思ってるのではないでしょうか。
      人によって程度の差はあれ、挫折というのは人間にとって必要なものだとぼくは思います。
      同じような境遇で悪夢から解放されたもの同士、これからも励まし合い、そして精進し、何より人生楽しんでいきましょう!
      いつかどこかでお会い出来ることを楽しみにしております。

  • 完走できるかできないか程度のタイムで、あちこち身体に痛みをかかえながら、マラソンに挑戦することは、たぶん他人からは無駄で理解し難いことなんでしょうけど、私も「やってます!」

    • >>9618さん
      マラソンをしない人からしたらお金を払ってまで苦しい思いをする意味は到底理解し難いことだと思います。
      ぼくも今でもあまりわかっていません(・ω・)

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