光どん日記64〜桜島さぁ!〜

桜島は今も昔も変わらず約26000年前から爆発を続けています。
そんな桜島を想ってみました。
観光で鹿児島に来た人たちが桜島の爆発を見ると「すごい!」「怖い!」「大丈夫!?」と思うでしょう。
ある種、歓迎のサインのような爆発です。
 
『おじゃったもんせ!』
(ようこそいらっしゃいました!)
 
まるで桜島がこう言ってるかのようです。
 
鹿児島を離れ県外で暮らす人たちが鹿児島に帰って来た際、桜島を見るととても感慨深くなります。
周りの人は変わり(見た目や生活環境など)、店も変わり、道路も新しくなってる事が多々あります。
しかし、桜島だけは何も変わらず自分が見る位置にあり続け、そして噴火し続けています。
雄大で無骨で決して綺麗とは言えない山ですが、我々鹿児島の民にとって桜島は心の拠り所のようなものです。
僕は名古屋に数年いました。
名古屋から鹿児島に帰ってくるたびに桜島を見ては手を合わせ「桜島さぁ、ただいまでごわした。」と口ずさんだものです。
「ごわす」なんて普段使いませんが、なぜか桜島に話しかける時だけもろな薩摩弁になります。
朝海沿いを走っていると同じように桜島に向かって手を合わせて挨拶をしている人をよく見かけます。
同じような人がいることに何とも言えない安心感を抱き、同じように手を合わせて桜島さぁに祈りたくなります。
 
鹿児島に住む民にとって桜島は複雑な存在です。
なくてはならない存在ではありますが、何より爆発に伴う降灰が鬱陶しいのです。
しかし、最早慣れてしまって「また降ってきたか」くらいにしか思いません。
灰掃除をしても次の日もしくはすぐにでも灰が降り注いでくる事なんて頻繁にあります。
車の洗車をした日の降灰なんて鹿児島県民のあるあるです。
 
『うんにゃ!へが降って来たど!』
(うわ!灰が降って来たぞ!)
 
けど、何を言ったところで何か変わるわけではないということも理解しているのであまり気にしません。
灰が降っていようが傘をさしたりストールやフードなどで鼻や口を覆い移動します。
砂漠での砂嵐のような状況になることもたまにあります。
それでも街は平然と何事もなかったかのように時が過ぎています。
そんな時はさすがに人は外に出ませんけどね(゚ω゚)
 
この桜島さぁの影響が鹿児島の民の「気質」を作り上げています。
あまり物事に動じなかったり、物事をすぐに受け入れることもあったり、たまに爆発するかのように気質が荒くなったり、思考回路の切り替えが早かったり、何を考えてるかわからなかったりします。
それは桜島さぁそのままなのです。
我々は無意識のうちに桜島さぁに育てられているのです。
桜島さぁも見る角度によって見え方が全然違います。
生まれ育った位置からの桜島さぁが鹿児島の民にとっての桜島さぁなのです。
それもまた桜島さぁの良いところでもあります。
人もまた然り、人によって人の見方は全然違います。
「無理して常に人から良いように見られようとしなくて良いんだ。」
「桜島さぁのように悠然と自然体で生きていけば良いんだ。」
桜島さぁを見ていつもそのように思います。
 
『桜島さぁ!今日もあいがとさげもす!』
 
今読んでる本を読んでいたら桜島さぁの描写が出てきたので、常日頃想ってることをなんとな〜く書いてみました( ^ω^ )

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ナマステ!
    たしかに!
    桜島が視界にはいると『あ!桜島!』と発している確率高いです。
    また、九州自動車道を下っていて桜島が見えてくるとホッとします。
    鹿児島行きの飛行機内で鹿児島空港に着くと鹿児島弁が聞こえ出すのもホッとします^ ^
    鹿児島マラソンの復路の際は桜島を眺める心の余裕はないです^^;

    • >>たくぞうさん
      ナマステ〜( ^ω^ )
      九州自動車道下りの際、桜島が見えた時は何だかホームに帰ってきた感がすごくしますよね( ^ω^ )
      鹿児島マラソンはほとんどず〜〜〜と桜島が見えますもんね。
      あれはもう少し運営側も対策を練って「場所によって桜島の風景がこんなに変わるんだ!」ということをアピールした方が良いと思います。
      世界でも類を見ない現在進行形で市街地周辺で爆発を繰り返してる山を観ながらのマラソン大会なのですから、そこをもっと大々的にアピールすべきだとぼくは思います(゚ω゚)

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