やっとでムンバイマラソンのことを書き始めます!
正式名称「TATA MUMBAI MARATHON 2019」です!
落武者は世界でどのように評価されるのか、インドでどのように受け入れられるのか書き進めて参ります!
海外を走ったことがない方に勇気と希望を与えるであろう記事になることでしょう!
マラソンのこととその日のことを書くのでこれまでで最長の記事になります!
お時間がある時にご覧ください!
Google翻訳で「四日目」と入れたら「The」が付いたのに「五日目」と入れたら付きませんでした!
英語のことはよくわかりませんが、今回の題名に「The」は付きません!
(誰か教えてそこのエロい人!)
それではムンバイマラソン2019の始まりです!
落武者インドの旅〜Fifth day (TATA MUMBAI MARATHON 2019)〜
起床予定時刻朝2:30に二人は起きた。
当然だが外はまだ暗く、眠れないほど鳴り響いていたクラクションもこの時間には鳴りを潜めていた。
当然眠いが二人とも結構グッスリ眠れた事もあり、意外と不快ではない感じ。
オムカールさんの体調も良くなったみたいだし、ぼくも特に問題はなかった。
バナナを食べ、まずぼくが落武者メイクを始めた。
自分のメイクが終わったので「適当に塗れば大丈夫ですよ」とオムカールさんに伝えぼくはトイレに入った。
トイレから出るとオムカールさんの顔がテッカテカに白塗りされていた。
「眉毛が描けません。」とぼくに言ってきたのでマッキーで眉毛を描こうとするもテカテカに塗られたメイクには確かに描くことが出来なかった。
「このままでも問題ないですよ!」と伝えた。
↓メイク中のオムカールさん
この日出張で飛行場まで行かないといけないので、このメイクがとれるかかなり心配していた。
ぼく『大丈夫ですよ!とれなくても逆に目立って取引先の方に覚えられるチャンスですよ!』
オム『いいえいいえ、それは危険ですよ。本当に大丈夫ですか?』
ぼく『大丈夫です!メイク落としも持っていきますし、石鹸も持って行きましょう!』
オム『かしこまりました。そうしましょう。』
恥ずかしくて早くメイクをとりたいという気持ちもあったのだと思う。
その気持ちはめちゃくちゃわかる。
ぼくが落武者を初めてした時、本当に恥ずかしいし落武者になったことを死ぬほど後悔した。
この羞恥心がどのように変わるかもぼくは知っていた。
だから問題ないと言い続けた。
オムカールさんの心境がどのように変わるかゴールした後に聞いてるのでその事も書く。
ちなみに落武者コスプレすることを奥様に伝えていないとのことだった。
言ったら絶対反対されるとのことだった。
『インドでもカミさんが一番の力を持ってますからね。』
インドの旅で忘れられないフレーズの一つだ。
4時になりホテルを出る時間になった。
会場に早く着いているとスタートの時に混まないとのことだ。
オムカールさんはムンバイマラソンに3回目(4回かも)の出場で慣れていて先を読んでの行動だった。
作戦を再度打ち合わせした。
・10kmと20kmでオムカールさんのジェルを飲んで、25kmを過ぎてからヒカルジェルを飲む
・10kmまで一緒に走る
・最初は流れでスピードが出てしまいやすいけど何とか自分を抑えて5:00~5:10/kmで走る。10km前後から4:50~5:00/kmで走り続けて余力があればラストスパートを5kmくらいする。
これをお互い確認し合った。
ぼくのお腹が若干痛くてトイレに行きたかったが結局行かずにスタート地点に並ぶことになった。
詳しく書くと面倒なので書かないが、なんだかんだでスタート地点に並んだ。
落武者のカツラを被り矢を装着して準備は万端!
すると周りのランナーから「一緒に写真を撮ってくれ」とめちゃくちゃ声をかけられた。
写真を撮り終わると握手をして「All the best!!」(グッドラックは運任せの要素が強いがこれは「全て上手く行くよ!」とお互いの健闘を祈る感じかな。←後日ネットで調べた!)と言うからぼくもあたかも知っているかの如くおうむ返しで言った。
「All your best」なのかどっちか迷ったので非常に曖昧に言って誤魔化した。
↓まだ緊張と後悔が入り混じっているオムカールさんと小慣れたヒカール
髪の毛が邪魔になるということでオムカールさんは後ろで縛った。
これはこれでニュータイプの落武者になってるし、良い感じに仕上がっている。
↓最前列なうなう!
この地点はあるゲートの前に並んでいて、そのゲートが開くと我先にと本当のスタート地点に駆け足で並びに行くことに。
その途中オムカールさんが「光さん!光さん!」と叫び声がしたのではぐれそうなのかと思い後ろを振り返るとあの有名人が!
↓裸・裸足でサブ3をする猛者
以前どこかの記事で書いたので知ってる人は知ってると思うが、インドのランナーたちはみんな知ってると言っても良いくらい有名な方なのだ。
ムンバイマラソン2018年の表紙に載るほど有名な方だ。
このオムカールさんのドヤ顔を見てもわかるようにオムカールさんもとても会いたがっていたし、ぼくも会って写真を撮りたかった方だっただけにスタート前からテンションだだ上がりだった。
ちなみにこの写真をオムカールさんのfacebookで投稿したら本人からコメントも来てとても喜んでいた。
この時この方から「面白い格好してるね!」と言われた。(←多分)
↓ムンバイ駅からスタート
↓もう少しでスタート!
ここでふとオムカールさんを見ると何と10kmで飲むはずのジェルを飲んでるではないか!!!
あれだけ作戦立てたのに!!!
心の中で「あれ!?もう飲んでる!!!」と思ったが、オムカールさんもテンションが上がって飲んでしまったのだろう。
「残り1分でスタートです!」的なアナウンスが流れるとみんなテンションだだ上がり!
ぼくはスタート10秒前くらいから胸に付けてるカメラのスイッチを入れる予定だった。
よしそろそろスタートを押さなきゃ!と思っていたら「写真を撮ろう!」と知らない人から言われて撮ることになった。
その人の手際がとにかく悪く、時間がドンドン過ぎて結局スタートと同時にその人と写真を撮ってスタート前の雰囲気を動画に撮ることが出来なかった。
そんなこんなでついに落武者の初海外マラソンがスタートした。
10kmまでオムカールさんと走ることを目標に、自分の足がどこまで大丈夫なのか不安もあったが、とりあえず今の自分がやれるだけのことをやろうと自分に誓った。
9月に怪我をしてから全く練習が出来なかった。
自分でもこんなに長引くとは思いもしなかった。
その事もオムカールさんと連絡し合っていた。
オムカールさんはいつもぼくを励まし続けてくれた。
↓こんな感じ
オムカールさんの励ましもあり、12月後半から何とか足の具合も良くなってきて少しずつ走れうようになった。
足の不安を抱えつつも初海外マラソンの楽しさが上回っていた。
周りの人たちは「フォーフォー」言って盛り上がっていた。
ゲートをくぐり時計をスタートさせぼくのフルマラソンがスタートした。
それから10mくらいするとオムカールさんがいなくなっていた。
後ろを振り返ったりするもいなかった。
人混みに紛れてわからなかくなったのかと思っていた。
スタートから1分後、オムカールさんが10m前を走っていることに気付いた。
付いて行こうとするもオムカールさんのペースがどんどん上がっていくため追い付けない。
後日確認したらオムカールさんの最初の1kmのタイムは4:44/kmだった。
「10kmまで一緒に走るんじゃなかったのか!?!?」と思いながらも自分のペースで走ることを決めた1km地点だった。
足の痛みは特になく、呼吸が苦しい感じもない。
足の怪我をする前だったらジョグ程度のスピード(5:00~5:10/km)だが、これ以上のスピードで走るのは怖かった。
3~4kmくらいでトイレに行き、小を済ませ再び走り出した。
8kmくらいでランナーから一緒に写真を撮ろうと言われ走りながら撮った。
これは日本の大会でもたまにあることだ。
この後日本人ランナーから声をかけられ二言くらい会話して抜き去られた。
多分ペース的に3時間半くらいの速さの人だろう。
10kmくらいで坂があったけどまだ最初の坂なのできつくはなかった。
しかし、10km手前から体が重かった。
やはり気温が高いことが影響してると感じた。
気温が上がるとどうしても走るスピードは落ちる。
ここからマイナスなことを考えながら走ることとなる。
「やっぱり練習してないから走れないんだ。」
「気温が高いからスピードが出ないんだ。」
「これ以上無理したら足が痛くなる。」
こんなことを考えながら5kmほど走った。
いやちょっと待てよ。
みんなが知りたいのはこんなありふれたマラソン日誌じゃないはずだ!
みんなが知りたいのは落武者がインドで走るとどんな反応だったかのはずだ!
スタート地点ではランナーと一緒にめっちゃ写真を撮ったが、スタートして沿道の人たちの反応はいまいちだった。
もしかして落武者は失敗なのかと思った。
しかし、中には笑いながら応援してくれる人もいる。
一番怪訝そうな顔をして見てきたのが警察官だった。
顔をしかめてぼくを見てくるではないか。
長い警棒みたいなのを持ってるしおっかなくて仕方なかった。
よくよく考えるとスタートは5時30分で周りはまだ真っ暗だ。
基本的に街灯の明かりしかない中を走っていた。
顔は白く、頭に矢が刺さり、散切り頭のやつが暗闇から現れたらそりゃ怪訝な顔もするよなと思った。
↓暗闇の落武者
これは怪訝な顔をしたくなるかも…。
動画を見直しても、スタートから10kmでも周りは暗いし「ギャルは無反応だなぁ」と言っていた。
「右にマメが出来たなぁ」とも呟いていた。
こんな早い時点でマメが出来ていたようだ。
所々で盛大な声援をしている集団があったりした。
日本ではあんまり見ない感じで「フォーフォー」言いながらの声援。
裸足ランナーが日本の10倍くらいいたと思う。
12kmくらいでラムさんから「Hikaru!」と声をかけられ「Very hot!」(暑いっす!)とぼくがその時思い付いた精一杯の英語を言った。
みんなが気になることの一つに「インドの路面状況はどうなの?」ということがあるだろう。
そのうち動画をアップするからそれで確認してもらえれば良いが一応書いておく。
確かに日本と比べると良いとは言えないが、別に路面で困ったということもなかった。
裸足で走る人が多数いるくらいだからそこまで酷い路面はまずない。
寧ろ鹿児島の出水で行われる「ツルマラソン」の方が過酷だ。
あの大会は砂利道を走らされるし、暑さが尋常じゃないからね。
暑さで比べてもツルマラソンの方が間違いなく過酷だ。
13kmくらいで前を走る薄毛のタンクトップランナーの脇が臭かった。
そのランナーが腕を挙げたりするたびに脇の臭いを周りに撒き散らしていた。
ついついぼくも一言二言呟いた。
この時もまだまだ空は真っ暗だ。
ボロッボロの革靴で走ってるランナーもいた。
まさかそれで練習してるとは思えないが「ぺコンペコンペコン」と心地良い音を尋常じゃないくらいボロボロの革靴で奏でながら走っていた。
それから少しすると対面にランナーが現れ始めた。
ハーフマラソンのランナーたちだろう。
そのランナーたちもぼくのことを見て驚き怪訝な顔をしていた。
落武者は世界では通用しないのかもしれないと思い始めた。
そんな時、ある女性と目が合った。
ぼくがニヤリとすると女性が笑った。
もしかして、と思いそれから沿道の人と目を合わせるて笑うと一様にみんなも笑い始めるではないか!
初海外で受け身になっていた自分に喝を入れ沿道の人を楽しませることを考えるようになってきた。
ハーフのランナーとすれ違う時もなるべく見える位置で走り、目を合わせるようにした。
15km手前から大きな橋を走り出した。
さっきも書いたけどマメが出来たり気温の問題だったり練習不足やらで段々スピードは落ちるし、こんなところまできて走る気がなくなってきた。
そんな時に女神の裸足ランナーが現れた!
後ろ姿しか見てないがフォームも綺麗だし足も綺麗だしタンクトップ姿だしぼくはこう呟いた。
『ずっとついて行こう。』
それまでぼくのペースは5:10~5:20/kmに落ち込んでいたがこの女性の後をひたすらついていくことにした。
多分この人のペースも3時間半以内の感じで走っていた。
ストーキングしてるうちに段々空が明るくなってきた。
20kmくらいだからやはり7時過ぎだろうね。
明るくなってくると落武者の舞台が始まった。
落武者の姿を遠くから視認すると一様にスマホを構え出した。
反対車線からも声をかけられたり、さっきまであんなにおっかないと感じた警察官が笑いながら声援をおくったりスマホで写真か動画を撮り出すではないか!
子どもたちの前を通ると大盛り上がりだった。
スラムだろうが何だろうが子どもたちはみんな笑っていた。
その笑顔は日本だろうが変わらない。
スラムの子たちとハイタッチをするとキャッキャ言いながら大喜びしていた。
どうやら暗闇だと落武者は視認出来ていなかったようだ。
空が明るくなり、裸足の女神にくっついて走るも、同じように考えたのかどっかのアジア人がぼくの裸足の女神の周りを走って二人の空間の邪魔をしてきた。
段々とイライラしてきたが、裸足の女神についていくことが出来なくなった。
それからそのアジア人がぼくに変わって女神と走っている姿を「孫の代まで恨んでやる」と負け惜しみを言いながらぼくのスピードが段々と落ちた。
裸足の女神のスピードはぼくに反比例するかのように加速し離れていった。
女神に見捨てられたのが大体26km地点だった。
それからぼくは一人で淡々と走ることになった。
「30kmまで頑張って走ろう」と声に出して自分を鼓舞しながら走った。
この頃からヒカルジェルを飲み始めた。
するとぼくの前にまた女性ランナーが現れた!
しかし、その女性は奇声を上げたりフォームが悪かったりぼくの好みの体型じゃなかったので一緒には走らなかった。
そこでも沿道から落武者に対しての声援がたくさんあった。
なんて言ってるのかわからないけど「Yeah!」「Thank you!」など適当に返礼しながら走った。
本当になんて言ってるかわからないから全て適当に返礼していた。
書くのが遅くなったが、ぼくがムンバイマラソンに出ようかなと思った時にまず一番最初に調べたのは「給水」だ。
まさか日本みたいに紙コップでやってたらさすがに参加は出来ない。
水だけは気を付けないといけないからね。
調べるとどうやらペットボトルでの給水だった。
それがインド行きの最大の決め手だった。
スタートから大体2~3km毎に給水ポイントがありペットボトルを手に持って走った。
たまにそのペットボトルの蓋が空いている物を手渡された。
もしかしたら中身を水道水に変えて渡されてる可能性もある。
前半は蓋が空いてるペットボトルは体にかけて体を冷やしていたが、後半になるとどうでも良くなってきて気にせず飲むようになった。
沿道でミカンやビスケット的なもの、塩などを個人的に用意されてる方々もたくさんいた。
生ものは食べるなと予防接種をした時のお医者さんに言われていたのでこの日までビビってずっと食べていなかったがマラソンの時は気にせず食べた。
走り終わってからお腹は何ともなかった。
何だかんだ30kmまで走り「次は32kmまで走ろう」と自分に言い聞かせて走った。
スピードはまた5:30/km前後まで落ちたが、沿道からの声援で走り続けることが出来た。
↓誰かが撮った写真
そのまま35kmまでこのペースで走り続けることが出来たが、そこから先は5:50/km前後まで落ちた。
体力的にキツかったこともあるし、脚を痛めてしまうのではないかと不安もあってこのペースになった。
ここまできたらペースはどうでも良いから走り続けようと常にプラス思考を意識した。
これから書くことは嘘ではなく本当のことだ。
ムンバイの見知らぬ土地を走ってる時、家族や患者さんやブログ読者の声援が聞こえてきた。
マラソン前日の土曜日にインドからアップしたブログに、ムンバイマラソンの応援ナビの説明を書いた。
あれは電車の中でオムカールさんから直接聞いてやり方を教えてもらって書いた。
あの記事で悔やまれるのはオムカールさんのローマ字の名前かゼッケン番号を載せることを忘れていたことだ。
みんなにはオムカールさんのことも応援して欲しかったし、応援したかったと思う。
中にはツイッターでオムカールさんが載ってる写真でゼッケン番号を調べてチェックして頂いた方もいらっしゃった。
心からありがたいと思った。
みんなの声が蜃気楼のように遠くから聞こえてきた。
「頑張れ!頑張れ!」
「もう少しだ!走れ!走れ!」
「最後まで走るんだ!」
こんな声が確かにぼくには聞こえてきた。
ぼくのイメージが作り出した声だとは思う。
けど、確かにぼくにはみんなの声が聞こえてきた。
その声があったからこそ、スピードを出すことは出来ないけどぼくは止まることなく走り続けた。
38kmくらいだったかそれくらいに応援してる団体の一人のおっさんが「Picture!Picture!」と叫びながらぼくを呼び止め写真を一緒に撮ることになった。
「hurry!hurry!」と言いながら写真を撮ってまた走った。
まぁインドだから仕方ないか。
そういえば、オムカールさんも「止められて写真を撮った」と憤慨していた。
それから少しして39kmくらいを淡々と走っていると目の前に上半身裸で頭に矢が刺さった人が走ってるではないか!
そう、オムカールさんを捉えてしまったのだ!
すでにゴールしていると思っていたが、オムカールさんの走り方は腰が落ちてとてもキツそうだった。
横に並び「大丈夫大丈夫!」と声をかけてぼくは抜き去ってしまった。
横に並んだ時、1秒くらい「一緒に走って一緒にゴールした方が良いのでは!?」と考えたのだが、なぜか抜き去ってしまった。
あんなにお世話になっていたにも関わらず、今回のインド旅行が全てうまくいったのもオムカールさんのお陰だというにも関わらず、このムンバイマラソンを走れてるのもオムカールさんがエントリーしてくれたのにも関わらず、ぼくは抜き去った。
こんな極悪非道な人間がどこにいるのだろうか。
後日思い返して自分の行いを悔やんだ。
キツイ時は人の本性が出るというが、もろにそれが出てしまった。
ぼくという人間はこんなものなのだ。
なんとも小さく、女性にしか目を奪われない、非道な男なのです。
もっと大きな人間になりたい…。
オムカールさんを抜き去ってから少しずつラストスパートをかけた。
ラスト1.5kmを大体4:45/kmで走っていた。
ラスト100mくらいで裸と裸足(インドの伝説のランナーではない)がいたので負けられないと思い、その人を抜いてゴールした。
知らないインド人と目が合って二人は自然とハイタッチをした。
↓走り終わっての自撮り
完走証などは配布されずアプリで知ることしか出来ない為自分の正確なタイムはアプリでしかわからない。
↓今回の結果
全然練習が出来なかったにも関わらず自分としてはとても満足いく結果となった。
この日の為に体力を落とさないように自転車に乗ったり水泳に行ったりしたし、筋力を落とさないように筋トレも欠かさずした。
足の治療も根気強くした。
その結果がこのタイムだった。
これまでの自分の実力からすると満足出来る結果ではない。
しかし、42kmを走り切れた喜びや多くの方々の支えを考えたらぼくはこのタイムに何の不満もなかった。
不満どころかぼくは今回のタイムをこれまでで一番誇りに思うし、一番の達成感があった。
『マラソンは一人で走るが決して独りではない。』
ぼくはこのフレーズをよく使うが心からそう思う。
自分一人で走った気がせず、ぼくの背中にはみんなの手があるように感じた。
走り終わってこの日初めて後ろを振り返り、手を合わせて礼をした。
これまで書いたことも言ったこともないが、マラソン大会のぼくの小さなおまじないの一つに「後ろを振り返らない」というのがある。
その効力は「ゴールするまで」だ。
ぼくは一人で走ったけど、確かにみんなの聞こえない声が見えない手がぼくの背中から支えていた。
皆さん本当にありがとう。
それからゴール地点でオムカールさんを待っているとたくさんの人から写真を撮られた。
沿道でもかなり撮られたが、ゴールしてからも半端じゃなかった。
ぼくだけを撮る人もいれば一緒に撮る人もいた。
オムカールさんがゴールしたのを確認した。
二人で歩いてゴールから遠ざかろうとするが、それを阻むようにぼくらに写真を求めてくる人々がいた。
一歩歩けば写真を撮られ、二歩歩けば一緒に写真を撮った。
オムカールさんとぼくは二人の健闘を讃える暇もないくらいずっと写真を撮ることになった。
なんとか前に進むと雑誌の取材が始まった。
当然全てオムカールさんが受け答えをしていた。
その時日本人からぼくに英語で話しかけられた。
ぼくは英語がわからないので「え?え?」みたいな感じで困惑していたら英語で話しかけてきた日本人の横の日本人が「この人日本人ですよ。」と言って少しだけ日本語で会話をした。
日本人が何人か走っていたみたいだ。
もし良かったらこの記事を見たチェレンジ精神ある方か、今の自分を変えたいと思ってる方は来年のムンバイマラソンを走ってみると良いよ。
是非ムンバイの地を走ってインドを感じて欲しい。
雑誌の取材が終わり、二人が歩き出すとまた写真攻めに合いながら、今度はテレビの生中継に出ることになった。
↓取材が終わった後の二人のショット
オムカールさんに「奥さんにバレるんじゃないですか?笑」と言うと「大丈夫でしょう!」と言っていた。
オムカールさんも走ってわかったみたいだが、落武者をした時の声援のすごさにビックリしていた。
これまでの声援と違って写真は撮られたり、警察官から声援を受けたり、全く見知らぬ人から大きな声で声援を受けてオムカールさんも落武者のすごさを実感されたとのこと。
これからのフルマラソンは毎回落武者で走ると言っていた。
やるとわかるが、落武者は本当に相当な声援を受けるからね。
是非みんなもやってみると良いよ。
テレビの生中継に出るまで少し時間があるようで、二人が座って待っていると座る暇もないくらい写真を一緒に撮ろうと言われた。
↓合間をぬってオムカールさんを撮った
ついには写真を撮るために並び出す始末だ。
その中には女性もたくさんいたが、お国の違いや宗教の違いで粗相があってはならないと思い無闇に触れることが出来なかった。
もし日本でこんな状況になったらぼくはお姫様抱っこをしただろう。
フルマラソンを走ったあとだろうが、ぼくは自分の好みの女性が一緒に写真を撮ろうと言ってきたら間違いなくお姫様抱っこをする。
下手したらお姫様抱っこをするフリをして乳を触る可能性も十分に高い。
肘でフニフニする可能性は95%はあるだろう。
バレないようにフニフニするだろう。
あ、話がそれた。
テレビの生中継だったね。
思い出して欲しいのだが、オムカールさんはこの日出張で10:30にホテルに帰り着かないといけないのだ。
しかし、この生中継が10時を過ぎても始まらないので、ディレクター的な人に言っても中々我々の順番がこない。
やっとで生中継の順番がきたが、ぼくには何を言ってるのか全くわからないのでいつものフィーリングでその場を乗り切った。
ムンバイマラソンにて生中継を横から撮ってもらった映像!
投稿忘れてた!
何言ってるかわからずフィーリングと適当な相槌とカメラ目線のニヤリと最後の「We love munbai!」の決めポーズなど色々酷い。
言えって言われたんだもん! pic.twitter.com/UbhLul84IK— さかうえ整骨院ぼくの手 (@bkntseikotuin) 2019年1月29日
この生中継のあとすぐにホテルに帰らないといけないので、ぼくは急いで帰ろうとした。
しかし、ぼくらと一緒に写真を撮りたいという人たちが大勢いた。
ぼくは言った。
『I don’t have time!』
今回のインドで一番まともな英語だっただろう。
しかし、オムカールさんは違った。
『光さん、みんなと写真を撮りましょうよ。』
「あれ、オムカールさん時間がないんじゃないの!?」と思いながらもオムカールさんが言うのならと思い、みんなと写真を撮った。
日本では考えられないくらい写真攻めにあった。
ハリウッドスターの気持ちが少しだけわかった気がした。
ハリウッドスターの気持ちで歩いていると目の前にインド人が横になり祈っていた。
↓多分祈りを捧げてるインド人
我々日本人がイメージする理想通りのインド人が寝ていたので盗撮した。
この後この人の手に足が当たって祈りを妨げてしまい、ハリウッドスターはその場から逃げるように去った。
それから朝預けたウェストポーチを取りに行き、その中にメイク落としが入っていてメイクを取る時がきた。
オムカールさんは朝あれだけ恥ずかしがっていたが、メイクを取る時少しだけためらいを感じた。
それくらい落武者メイクが気に入ったのだと思う。
日本から持って行って本当に良かった。
いや、この落武者がぼくとオムカールさんを繋いでくれたと言っても過言ではないと思う。
改めて落武者に感謝した。
メイクをとって、外を歩くと誰も我々を見なくなった。
なんだかオムカールさんは寂しそうだった。
そして二人はホテルに帰り着いた。
オムカールさんの時間もないので急いでシャワーを浴びて出る準備をした。
ぼくも一度チェックアウトをしないといけないのでその支度をしていた。
すると突然オムカールさんからメダルを渡された。
『このメダルは二枚が一枚になっていて、ここに書かれてる「INSPIRATION」のメダルは一番このメダルを受け取って欲しいと自分が感じた人に捧げるのです。私はこのメダルを光さんに受け取って欲しいです。光さん、本当にインドに来て頂きありがとうございました。』
こう言って深々とお辞儀を3秒間ほどしながらぼくに渡してきた。
ぼくは涙を堪えることで精一杯だった。
ぼくもそのメダルをすぐに取り出してオムカールさんに渡した。
↓メダルの下に書いてある文字を見て欲しい
↓このように重ねることができる
整骨院に置いてあるので是非見て欲しい。
このメダルの考えは非常に良いと思う。
上記したがマラソンは一人で走るけど独りではない。
家族、パートナー、友人などの様々な支えがあって自分が走れている。
そのことを改めて感じさせてくれた最高のメダルだ。
普段走ってるだけだと誰かに感謝の気持ちを伝える機会もないし、物で渡すことも中々ないのではないだろうか。
今までマラソンを走った後にもらうメダルなんて全く興味なかったが、このメダルは一生大事にする。
このメダルの方式は是非日本でも取り入れて欲しい。
特に我が故郷である鹿児島マラソンには率先して取り入れて欲しい。
インドに行くことを決めたのも、ムンバイマラソンを走ることを決めたのも、プネーを訪れることになったのも、全てオムカールさんの導きがあったからだ。
オムカールさんが日本語を勉強していなければ、オムカールさんが日本語を使った仕事をしていなければ、オムカールさんが走っていなければ、オムカールさんがぼくの手ブログを見つけてくれなければ、オムカールさんがぼくにコンタクトを取ってこなければ、ぼくはインドに来ることはなかっただろう。
偶然が重なり合ってこうして我々は出逢うことが出来た。
ありきたりな言葉になるが、これは偶然ではなく必然だったのではないだろうか。
ぼくはただ逢いに行っただけだし、ただ走っただけだ。
全てオムカールさんのお陰だと心からそう思う。
オムカールさん、心から感謝の気持ちを込めて「ありがとう」。
二人の準備が終わり、ロビーに行き、今日明日のぼくのことを受付の方に伝え、これからのインド生活でぼくが困らないようにしてくれた。
お昼ご飯を一緒に食べて、ココナッツジュースを2杯ずつ飲み、ホテルに帰った。
ついに別れの時がきた。
たった数日しか一緒にいなかったが、ぼくらはお互いを尊重し合った。
これから何回も会う事になるだろうが、国を越えた出逢いに感謝しつつ固く握手をして別れた。
オムカールさんがタクシーに乗りその姿がなくなるまで見守った。
改めて手を合わせて小さく「ありがとうございました」と呟いてホテルの部屋に帰った。
二人で泊まったこのホテルのお金もオムカールさんに出して頂いた。
最終日のホテル代以外、全ての宿泊費をオムカールさんに出して頂いたのだ。
それだけではない。
プネーからムンバイまでの列車代、ムンバイマラソンのエントリー代、一緒にいる時のご飯代やタクシー代、生活費全て(バイアグラ代含む!)出して頂いた。
日本円にして5万円前後になるだろう。
決してお礼だけでは済まされない金額だ。
この受けた御恩はいつか返さなければならないし、誰かに還元しなければならない。
オムカールさん、本当にありがとうございました。
起床時間が早かったこと、フルマラソンを走った後という事もあり、一気に疲れが押し寄せてきてベッドに横になり眠りについた。
多分2時間くらい寝て目が覚めた。
お腹が空いてきたが足や足裏のマメが痛いし外に出る勇気もなかったしベッドでゴロゴロした。
ムンバイマラソンでもらった食べ物があったことを思い出し食べた。
↓日本と変わらない
ムシャムシャ食べたが余計お腹が空いた。
スマホのアプリを見て、改めて自分が今インドにいて、フルマラソンを走ったんだと思った。
↓確かにムンバイを走ったようだ
夕方になり、お腹が空き過ぎてルームサービスを頼もうかと悩んだが高かったので外で食べる事にした。
このホテルに泊まってから何度かオムカールさんと行ってるので慣れてるし必殺の言葉でなんとかなると思い店に行った。
『Do you like this menu?』
(あなたはこのメニュー好きですか?)
お決まりのように「what?」の返答があるも、ぼくも慣れたもので余裕で乗り切った。
↓これが出てきた
辛くて汗が噴き出してきたが非常に美味しかった。
この店を出てまたココナッツジュースを飲んだ。
その時ココナッツジュースを作ってくれるおじさんと立ち話をした。
ぼくが明日日本に帰ることや、兄弟が何人いるのか、仕事は何をしているのかなど色々話したと思う。
そして自分の部屋に帰り、今日走った服を洗って干し、明日の帰国の準備をした。
外から聞こえてくるクラクションの音が「ビービービー」と激しく鳴り響いていた。
この音も聞けなくなるのかと思うと名残惜しく感じた。
夜10時前、突然爆音が鳴り響いた。
テロかと思った。
何回も着弾している音が聞こえるからだ。
すぐにYahoo!ニュースを見るも特に書いてない。
そんな早く日本に情報が行くわけもないがぼくは少しの間怯えていた。
どうやら花火が鳴っていたようだ。
こんな時間に花火が上がるとは考えもしなかった。
やはりインドは本当の意味で自由の国なんだと改めて思った。
それからぼくは深い眠りに付き、明日の最終日を迎えることとなる。
次で最後となる落武者インドの旅、皆さん楽しんでいただけているだろうか。
もしあなたの近くにインド人がいたら是非手を貸してあげて欲しい。
その人がどんな人かわからないが、ぼくはオムカールさんにとても良くして頂いた。
インド人が良い人だったというよりオムカールさんが良い人だったことは言うまでもない。
しかし、ぼくはインド人が日本に鹿児島にいたら必ず優しくしようと思う。
コメント
コメント一覧 (8件)
オムカールさんとてもいい人ですね
そして落ち武者笑える!
ほんとに
小説家になれる才能あると思いますよ!
>>ひとみさん
オムカールさんはかなり良い人ですよ!
オムカールさんが、スタート時にジェルを飲んだり、追いつけないほどペースアップしたところや院長先生がオムカールさんを抜き去るシーンも面白かったです!
落武者ツーショット写真はお二人の友情やオムカールさんが大胆になっていく様が見て取れ最高です(^^)
メダルを渡すオムカールさんの言葉には涙しました
オムカールさんから受けた御恩のお返しは院長先生が整骨院経営に邁進する事も一つの方法かな〜と僭越ながら思いました。
また今回のブログを拝見して「鹿児島マラソンで自分にとっての女神を絶対見つけるぞ」と強く決意しました!
>>Kouika7さん
整骨院でも色々話してますが、何かと面白いことがありましたからね!
何かと楽しいことだらけでした( ^ω^ )
オムカールさんとは初めて会いましたが、本当に良い関係だと思います。
これからも彼とは末長く付き合っていくことでしょう( ^ω^ )
整骨院経営に邁進するのも良いとは思いますが、まずはKouika7さんを含めた患者さん方と楽しく整骨院で話せたらそれで良いような気もしてます。
もちろんお金も大事ですけどね…。
それだけではない何かを模索中であります!
ありがとうございます\(^o^)/
女神についていけるよう走り続けましょう!
残り1ヶ月ですしね!
お帰りなさい〜♪
^^;気のせいでしょうか??
^^;最近のブログではチラホラ下ネタを見かけるような気がします!??苦笑
^^;食欲ならぬ性○旺盛なのでしょうね♪
もしくは欲求不満たまっていらっしゃるのかしら??苦笑
>>不二子ちゃ〜ん!
ただいまであります!
不二子さんのおかげでお腹をくださずに済みました!
整腸剤が超気に入りました!
このブログが主に男性に読まれてると思い込んでいるので、その野郎どもと共感をしたいがために実験的に下ネタを投下しております!
しかし、野郎どもはわざとそこに反応せず自分だけ良い男ぶってるようです。
ぼくは野郎どもの代表として発信してるだけです!
性欲旺盛じゃない野郎なんて信用出来ません!
二人のキセキのコンタクトからの友情ストーリー読み入りました!書きたいこといっぱいの充実ランになったんですね!
ニュータイプ落武者かわいいです^ ^ スタート時はテンションあがるでしょうし、記念写真を山ほど頼まれたら、またテンションあがりますね!ジェルやペースの打合せを忘れてしまうのも仕方ないかもですね^^;
光院長もストーキングランを入れつつも心で日本からのメッセージを受けるあたり、ニュータイプ!ですねw(゚o゚)w しかし、終わってみれば院長本人大満足の走りができて、それが一番ですね^ ^
マラソン界に『落武者効果で快走』という新走法 が現れる気がしてなりません(≧▽≦)
>>たくぞうさん
これまでのブログの中で最長となり読み辛かったと思いますが楽しんで頂けたようで安心しました!
写真は本当に尋常ではないレベルで頼まれましたからね!
男女問わずガンガンでした!
そういえば走ってる時に「ララ…」と聞こえた気がします!
ムンバイで覚醒したのかもしれませんね!
とにかく、とても楽しい大会でした( ^ω^ )