天気の良い日のある公園での出来事

とても天気が良く、子どもたちと公園で遊ぶにはもってこいの日でした。
我が子たちと色々遊んでいる中、夜も眠れなくなるほど考えさせられる事が起こりました。
公園で我が子が犬の置物に二人歌いながら座っていて、ぼくは目の前で微笑ましく見ていると、ぼくの真横に二人の女の子が来ました。
小学3年生から5年生くらいでした。
我が子たちが歌って遊んでるのを見て、ぼくの真横でボソボソと我が子に向かって
『馬鹿なんじゃないの?は??マジ馬鹿だし。』
など言いだしました。
ぼくは耳を疑いましたが、明らかに言ってました。
他にもボソボソ言っていましたが、聞き取れませんでした。
そのうち、
『死ねばいいのに。マジ死ね。』
と言いだしました。
子どもたちはその言葉に気付いてませんでしたが、ぼくはしっかりと聞こえていたのでその場を去ることにしました。
『ここにいたら性格の悪い子になるから他の場所にいこう。』
と見知らぬ小学生に聞こえるように言い、去りました。
こんな子どもがいるんだという驚きと、落胆にすごく気持ち悪い思いをしました。
その後、縄でできたジャングルジムみたいなところで遊んでいたら、さっきの見知らぬ小学生二人がコソコソ言いながら我が子に迫るような勢いで登ってきました。
これは本当に危ないと思い、見知らぬ小学生をジッと見続けました。
すると、またコソコソと言いながらぼくの方をチラチラ見だしました。
当然、我が子に何かしたらすぐに対処する準備はしておりました。
しかし、ぼくが見ているのがわかり子どもに危害を加えることはしませんでした。
もしぼくが見ていなかったら危害を加えることは明らかでした。
すぐに我が子に降りるように言い、降ろすとその小学生も降りてどこかに行きました。
その後も、小学生たちは僕たちをずっと見てました。
とても気持ち悪く危ない出来事でしたが、考えさせられました。
 
 
ぼくはどうすればよかったのでしょうか。
何も言わずその場を去るだけでよかったのでしょうか?
諭すように話しかければよかったのでしょうか?
何か他の言い方があったのでしょうか?
 
 
その思いと同時に、子どもの教育の大事さを痛感しました。
これは、ぼくが危険と思った小学生が悪いというよりその子たちの親の教育が原因の出来事だと思いました。
親が常日頃から使ってる言葉を子どもはしっかり聞いています。
そしてそれを使うようになります。
子どもの教育は幼稚園や学校の先生にも関係がありますが、一番大事なのは親の教育です。
子どもにとって親がすべてです。
その親が変な言葉を使っていたら当然子どもも真似して使います。
親が使ってるからそれを当たり前と思って使います。
その小学生たちの親も、陰でコソコソ人の悪口を言っているのでしょう。
もしそうであればなんと悲しいことでしょう。
まだ小学生なのに、そんな世界しか知らずに育つとは。
子どもを持って改めてわかりましたが、親の言動は何歳になっても大事です。
それが小さい頃であったらなおさらのことです。
三つ子の魂百まで、と言いますが本当にその通りだと思います。
こんなこと書いといてなんですが、ぼくも普段あまりよろしくない言葉を使ったりしてます。
子どもを持つようになり、少しは気にするようになりましたが、それでも使ってしまいます。
それを子どもはしっかりと使うんですね。
今回の件でなおさら実感しました。
子どもの前では気を付けよう、ではなく、普段の生活で使わないようにしようと思いました。
自分の子どもがあんな悲しい小学生になってほしくないです。
だったら自分が変わるしかないですね。
いきなり変えることは難しいと思いますが、出来る限り気を付けて生活しようと思います。
プラスの言葉、マイナスの言葉どちらを使ってもそこまで変わりはありません。
しかし、どちらかというとプラスの言葉を使って生きた方が良いと思います。
プラスの言葉を心掛けようと自分に何度も言い聞かせますけど、中々実行できないことでもあります。
まだまだ書きたいことはいっぱいありますが、これくらいにしておかないとボロが出そうなのでやめときます。
う〜む、実に悩む出来事だったなぁ。

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