虫垂炎になっちゃった!〜ラウンド1〜

前回の記事はこちら。

家族が帰り一人になったぼくはベッドに横になりながら、明日の手術のことを考えた。
全身麻酔だけど絶対眠らない、看護師さんとどうやって仲良くなろうか、大げさに痛がって心配してもらおう、など妄想は膨らむばかりだった。
いっときすると、同室の隣の人の音が気になりだした。
神経質なところがあるぼくは、少しイラっとしていた。
看護師さんがきて、明日の手術の準備をすると言って「ヘソの周りを綺麗にしますね〜」と言ってきた。
「そういえば昔友人が虫垂炎で手術した時下の毛を剃られたと言っていたが、それか!」
と思い、緊張したが今回ぼくは腹腔鏡手術だったため本当にヘソの毛(いわゆるギャランデュー)を剃り、ヘソの中を綺麗にして終わった。
意味不明な期待をした自分が恥ずかしくなった。
ここで何を考えていたか過去のTwitterを見てみよう。
 

 
そうなんだよ、今究極にお金がないんだよ。
なのにここにきてのこの出費は激しく痛い(ここでも痛いのか)。
そんなことを考えてる余裕があったようだ。
 
しかし、ついに止まっていた時間が動き出した。
ラウンド1のゴングがどこかで鳴っていた。

 
なんだかどんどん痛みが増してきた。
夕方の痛みの再来だ。
猛烈に痛み出し、咳をするたび飛び上がるほどの痛みが襲った。
火曜日の話だが、患者さんと話しすぎて喉を痛めたと思ったぼくはその日アルコール度数40度のお酒でうがいをしたのだ。
消毒すればいいやと思ったが、声が出ないくらい酷くなって水曜日を迎えていた。
木曜日にはまだ声が出るくらいになっていたが、それでも酷い状況であり、咳が出ていた。
アルコールでうがいしたら喉をやられるとここで初めて知った。
お腹の痛みが猛烈になり、ベッドの上でのたうち回っていた。
この時のTweetを紹介する。
 

 
どれくらいの痛みでナースコールを押していいのかわからず、ひたすら耐えていたぼくだったがどうやら相当きていたようだね。
しかし、ここではまだ押していない。
何回か看護師さんがきてくれたりして、色んな点滴をつけたり変えたりしていた。
あまりにも痛くてその時、痛み止めの注射も入れてもらったけど、30分くらいしか効かず、痛みが戻った。
どうやら相当な痛みだったみたい。
普通ならそれで一晩は楽に過ごせるような痛み止めだったらしいけど、ぼくには最初しか効かなかった。
呼吸するたびに、自分の息から薬の味がしたり、塩分の味がしたりめちゃくちゃだった。
 

 
相当な痛みでどうにかなりそうなぼくは、度々来る看護師さんだけが頼りとなっていた。
タイプとか綺麗とかそんなことどうでもよく、そばにいてくれるだけで安心感があった。
あまりの痛みで、顔を見る余裕もないんだよ。
このぼくが女性の顔を見ることができないんだぞ!
それくらい痛みが猛烈なのだ。
このあとそんなに余裕がないのに、何を思ったかこんなことをつぶやいていた。

 
退院したあと、妻や世のママたちに出産より辛い思いをしたと言いたいがために思ったんだろう。
そのあとしっかり検索していた。
「出産と虫垂炎両方経験した人でどちらが痛いか」

 
圧倒的に出産の方がきついという人が多かった。
中には虫垂炎の方が痛かったという人もいたが、ほとんどが出産だった。
100倍痛いと書いてあったりもした。
『この痛みより100倍ってどんなだよ!』
と思いながらのTweetだった。
あまりの痛みで眠ることができるわけもなく、ほっぺや体のあちこちをつまんで痛みを誤魔化そうとするも、どうしようもないレベルだった。
ついにナースコールを押す時がきた。

 
この時の震え方は尋常じゃなかった。
6年ほど前まだ愛知県にいたころ、真冬の時期に夜飲んでから家に帰った時、家の鍵がなく、インターホンを押しても妻がでなかったことがあった。
何度も押したり、ドアを叩いたりしたが、出ないため玄関の外で寝ることにした。
外に置いてあった傘をさして防寒しようとするも全く効かず、ガクガク震えてこのまま凍死するのかなとか思いながらドアを叩き続けるとやっとでドアが開いた。
妻はビックリしていたが、ぼくは寒さで固まって動くことが出来なくなっていたため、家の中に引きずられながら入れられた記憶がある。
この時の震えより酷い震え方をしたのが今回だった。
全身という全身が震え、歯がガッチガチ当たっていた。
震えというよりこれは痙攣なのではないかと思うくらいだった。
ナースコールを押し、看護師さんに「寒くて震えが止まらないです。」と伝えると「熱が出る前ですねぇ。電気毛布持ってきますね。」と冷静にぼくは診られていた。
電気毛布をかけてもらいながら、「大丈夫ですからねぇ。」と声をかけられ、「本当なのか!?嘘ついてんじゃないよな!?」と疑心暗鬼になりながらも、電気毛布の温かさに体が楽になった。
看護師さん、疑ってごめんなさい。
外が明るくなってきていたが、電気毛布で体が温かくなって震えが止まり、少しだけ寝れたが少ししてまた猛烈な痛みで目が覚めた。

 
この時の写真を自撮りしていた。
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顔面蒼白となり、なんとも生気のない顔である。
このあとトイレにいくのだが、その時初めて猛烈な痛みの中点滴をしながら歩くということをしたのだが、この時の動画がないのが悔やまれる。
腰をくの字に曲げ、ほんの少しずつしか歩けず、これがつい先日まで軽快にランニングをしていた男とは思えない状態になっていた。

 
そうなんだよ、排尿中に意識喪失しそうになり、周りがグワ〜ンてなったけど、なんとか手で横の手すりにつかまり無事だったんだ。
排尿中かどうかもわからないままチンチンをパンツにしまい、またヨボヨボと歩いて帰る(距離にして10mほど)のだが、その途中で吐き気がして病室の横にある洗面所で吐いた。
この世の終わりかと思った。
そして、なんとかベッドに着き、横になりまた悶えた。
そのあと麻酔科の先生がきて麻酔の説明を受けるも、全く頭に入ってこず適当にうなずきながら最後にサインをした記憶がある。
そのあと妻がきて、何か話したかもしれないが何も記憶がない。
そして、ついに手術の時がきた。

 
ベッドからストレッチャーに移り、手術室へいくことになった。
途中で妻と別れ、ついに手術室に入ろうとしたそのときである。
「え?まだ麻酔科の先生が来てない?え〜、どうしよ〜。」
「おいおい、まじかよここにきてこれかよ! どうなるんだこの展開!」
と思っていると、看護師さんが「麻酔科の先生がきてないからもう一度部屋に帰りますね!」と言われ冗談じゃねーよ!と言いたかったが、そんなこと言う気力も元気もないぼくは無視した。
すると、執刀医の先生がすぐさま電話して、何かをボソボソいって電話を切って、一時すると麻酔科の先生がきたのだ!
ぼくはこの執刀医の先生に恋をしそうになった。
そして、なんとか手術室に入り、色んな機械に囲まれる中ぼくは身を委ねるしかなくなった。
麻酔を注入するときがきた。
名探偵コナンとかで、よく麻酔を打たれて眠らされますが、「自分はそんな簡単に眠るわけがない!」と意味不明な抵抗をするため、目を開けていた。
『はーい、麻酔入れますね〜。ぐわ〜ときますけど、大丈夫ですからね〜。』
『へっ、そんなのきても絶対眠らんし!お、確かにグワっときたぞ、おおぉ!おおぉぉぉ・・・。』
ものの数秒で落ちた。
次に目を覚ましたときは、人に囲まれていた。
口に管を入れていたものが引き抜かれ、無事に終わったと先生に告げられた。
確かに、お腹の痛みが全くない!!!
あぁ、これで治ったと思った。
手術室の人たちにはもう会えないと思い、麻酔が効いていて中々喋れないけど、小さな声で
『皆さん、ありがとうございました。おかげで楽になりました。』
と伝えることができた。
12時過ぎ、病室に帰り妻と会話をした。

この時の写真がこれ。
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まぁ術後間もない感じだとこんなもんかな。
口元の酸素マスクが邪魔で仕方なかったのは覚えている。

 
痛みもこの程度だが出てきた。
15時過ぎると水を飲むこともできるということで、飲み出した。
16時過ぎるとトイレにもいけるとのことだった。
看護師さんがきて、「トイレにいきそうですか?」と言われ、麻酔もほとんどきれていたので、普通に立ってみた。
すると、チンチンが痛かった。
なんだ?と思うと、なんか管がチンチンに繋がってるじゃないか!
どうやら全身麻酔をした時にチンチンに管を入れられていたらしい。
その管をトイレで抜くとのことで、看護師さんとトイレにいくことになった。
初めて女性とトイレに入り、なんだか意味不明にドキドキした。
『では、管を抜きますねぇ。はい、息を吐いてぇ〜』
という合図の元、チンチンがグイ〜ンという感触になり、痛かったが管が取れた。
そして、またベッドに帰り横になった。
17時前、妻が帰った。
痛みがないため、これなら明日にでも退院できると思った。
「ゴールデンウィークをまだ遊ぶことができるぞ!」
と思ったりしたし、バーベキューをしたくなったりしていた。
そんな余裕も段々となくなってきた。
なぜなら、今度は別な痛みが出てきた。
手術で切ったあとが痛いのだ。
これがラウンド2の始まりであった。
今回の記事で終わる予定だったが、もう一度書かせていただきたい。
次もそれなりに面白いし、ためになる記事になると思うので、ぜひ続けて読んでいただきたい。

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