朝走るととても気持ちが良い季節がやっとできました。
走り始めが爽やか(←秋の季語で、「清々しい」が初夏の季語)で気持ちが良いです。
10月23日(日)にツルマラソンがありますので、ついにマラソンシーズンが始まります!
今シーズンはどんなドラマがうまれるのでしょうか!?
今から楽しみです( ^ω^ )
では、本文です。
前回の記事「誤解だらけの指導方法」の続きを書きます。
今回も野球に関して書き進めていきます。
いわゆる「しごき」という行為はいつからなぜ始まったのでしょうか。
桑田真澄さんの著書「東大と野球部と私」より引用します。
「練習量の重視」とは、1000本ノックや1000回の素振り、投げ込み、走り込みといった、量ありきの練習方法です。「精神の鍛錬」とは、たとえば水を飲ませないなど、気合や根性を強調して精神を鍛えようとする考え方です。「絶対服従」とは、監督や先輩など年上の人の存在を絶対視する発想です。
僕は修士論文のなかでこの指導理念を「誤解された野球道」と名づけたのですが、こうした指導理念が定着した背景には、実は戦争があったそうです。戦前から戦時中にかけて、当時の軍部や政府が野球を弾圧しました。そんな中、学生野球指導者の飛田穂洲(とびたすいしゅう)氏をはじめとする野球の先人たちが、戦争中でも野球を続けられるよう、練習量の重視・精神の鍛錬・絶対服従の価値観をあえて前面に押し出し、「野球は強い兵隊を要請するのに役立つスポーツだ」とアピールしたのです。つまり、「誤解された野球道」は、戦争から野球を守るための”苦肉の策”だったというのが真相だったようです。飛田氏は、戦後になると「これからは新しい時代だ」と宣言したのですが、復員した軍人や飛田氏を乗り越えようとする人たちが指導者、先輩選手、審判などを務めた結果、終戦後もその価値観が継承されてしまったのです。
引用終わり
とのことです。
現代日本スポーツの多くが戦前の指導方法を未だに行っているのです。
これを読んだときにぼくはなるほどと納得しました。
なぜ今のような理不尽な指導方法がまかり通ってるのか不思議でなりませんでしたが、戦前戦後のことを考えたら理解しました。
こんな戦争中の指導方法をおかしいとも思わず、ただひたすら行う指導者に尚更腹が立ちます。
「朝から晩まで練習して何のためになるってんだ!」
的なことを桑田さんの本に書かれていてフムフムと共感しながら読んでいました。
しかし、一人の意見だけではわからないのでもう一人野球選手の本を買いました。
落合博満さんの「落合博満バッティングの理屈」という本です。
内容紹介
落合博満の「三冠王・現役時代」の打撃理論をまとめた名著2冊※、待望の復刊!
プロ・アマ問わず、選手および指導者、すべての野球関係者必読のバイブルです。
野球をされてる方は絶対読んだ方が良いです。
必ず役に立ちます。
勝手な落合さんのイメージとして理論より感覚でやってると思ってましたが、かなり理論派でした。
読んだらわかりますが、とにかく野球関係者全員必読の本です。
本文を引用しようかと思いましたが、引用部分が多くなりすぎるので箇条書きにします。
・バッティングは1日、2日で上達するものではない。1回でも多くバットを振った選手が生き残る
・1〜2時間バットを振り続けてもへこたれないことは一流打者へのいちばんの条件を満たしている
・プロ野球界を見てもそうなのだが、最近の選手は走る量が少ない
・体の強さは走り込んだ距離で決まると感じている
・バッティングを上達させるためには、ただバットを振ったり、ボールを打てばいいわけではない
・正しいスイングをするためには基礎体力を高め、走ること、守ることにも神経を配らせることが必要だ
・オフシーズンはしっかり走りこめ
・秋の練習のメリットが2つ。極端にいえば体を壊せること、フォームの改造などを細かくできること
・成長途上にある選手は、極端にいえば休ませてはいけない
まだまだ書きたいことがありましたが、キリがないのでこれくらいにします。
この箇条書きだけみると桑田さんと全く反対のことを言ってるように思えますよね。
ぼくも最初この本を読んだ時すごく戸惑いました。
しかし、読み進めていくうちにただ無闇矢鱈に走ったり素振りをしたりするだけはなく、走るにしろバットを振るにしろ考えてしなさい、ということでした。
この部分的な箇所だけ取り上げて走らせたりバットを振らせることをさせてしまうことが問題の根本にあるようです。
時期や選手によって走り込む必要があれば、技術指導のために付きっ切りで指導しなければならない時もあり、バットを振ることだけでも考えなければなりません。
ただ指導者から言われたことを「やらされてる」だけでは成長はしません。
疑問に思ったり、自分の考えがあるならしっかりと伝えるべきです。
桑田さんは高校一年生で甲子園で優勝をしたが自分で多投しすぎたと考え、監督に「練習量を減らしてください。秋の大会で春の甲子園に行けなければ元の練習量に戻していただいて結構です。」と直談判し、監督も最初は反対したが「もし結果が伴わなかったら元に戻すからな。」と言って練習量が3時間前後になったそうです。
それでもしっかりと甲子園で優勝したり準優勝したりとPL学園の最盛期を作り上げ、練習量が増えることはなかったそうです。
当時のPLの監督が生徒の意見を聞く稀な方だったということもあるでしょうが、生徒は理論立てて監督やコーチに話をしても良いと思います。
監督とは四六時中怒鳴り散らすことが仕事ではありません。
怒鳴らないと理解してもらえないほど「私には指導力がないんです」と、周りに宣言しているようなものです。
前回の記事で卓球の水谷さんの本でも書かれてますし、桑田さんの本でも、落合さんの本でも共通してることは、
『自分で考える』
ということでした。
やらされたり何の疑問も抱かず練習することの無駄を知ってほしい、と言い切ってます。
決して楽な練習で強くなれるとかではありません。
彼らはプロの中のプロですから血反吐を吐くような練習を繰り返してます。
そのきつい部分の練習にだけ目がいき、それを「桑田がやってるから」「落合がやってるから」という一括りにして毎日のようにきつい練習を強要する指導者がほとんどと言っても過言ではない状況です。
身体は回復させなければベストパフォーマンスを発揮することは出来ませんし、上達することは非常に難しいです。
疲れがたまる練習をした後は必ず疲れを抜く練習をしないといけないのです。
大リーガーのダルビッシュ選手はアクティブレスト(積極的休養といい、疲労を抜くために軽く運動をすること)のためにバスケットをしたりしています。
練習に緩急が必要と書いたのはこのことです。
今回この記事を書くにあたり、自分の考えだけでなく一流選手の話(本)もしっかり読みました。
マラソンを始めて自分の身体を使い、仮定・実験・検証・結果これをひたすら繰り返し身体の勉強をしました。
その中で得た知識に自信はありましたが、他の方の意見(特に一流のスポーツ選手)が知りたくて数冊の本を読み、それは本物の確信となりました。
野球だけではありません。
サッカー、バスケット、バレー、ラグビー、柔道、その他全てのスポーツに言えることがあります。
人並み以上の技術を得たいのなら人の3倍努力しなければなりません。
その努力は決して楽なものではなく、苦しいものです。
しかし、苦しみ方や苦しませ方を知らない人がほとんどです。
無駄な苦しみは無駄でしかありません。
もしこの記事をスポーツ関係の方に見て頂いたなら是非考えていただきたいです。
指導するというのは、決して教わる側だけが成長するのではなく、教える側も同様に成長していくことが理想であると思います。
桑田さんの言葉を借りて終わりとします。
『野球に限らず、人生においても、「生きている」と思うのではなく「生かされている」と考えるようにしている 桑田真澄』
なんか自分が読み返しても何を言いたいのかわからない記事内容だった気がしますが、フィーリングは伝わったと思います。
ご拝読ありがとうございました。
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